人間の業 ― 綺麗事の裏側 第100話:最終回 知っていることと、知ったつもりは違う
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2026-10-08 20:00:00
人間の業 ― 綺麗事の裏側 第100話副題:知っているつもりが、いちばん怖い「結局、癌って……何なんでしょうね」久美さんが、ぽつりと言った。これまで何度も話してきた。手術。放射線治療。薬 物療法。分子標的薬。免疫チェックポイント阻害薬。そして、癌の性質を調べる検査。最初の頃、久美さんの頭の中にあった「癌」とは、もっと単純なものだった。癌が見つかる。手術で切る。必要なら抗がん剤。そして放射線。それくらいの知識だった。だが、話を重ねるうちに、それでは説明できないことが分かってきた。癌には種類がある。同じ臓器にできた癌でも、進行度が違う。癌細胞の性質も違う。手術をする場合でも、どこまで切るのかが違う。早期の一部の癌では、内視鏡によって治療できる場合もある。手術の前に薬 物療法を行うこともあれば、手術の後に再発を防ぐための薬 物療法を行うこともある。癌の種類や進行度によっては、手術・放射線・薬 物療法を組み合わせる集学的治療も行われている。放射線治療だって、単純に「癌を焼く」という話ではない。癌を治すことを目的に使う場合もあれば、骨転移による痛みなど、癌によって生じた症状を和らげる目的で使う場合もある。手術や薬 物療法と組み合わせることもある。「私、何も知らなかったんですね」久美さんが苦笑した。「そんなことはないですよ」私は答えた。「昔の知識が、そのまま残っていただけです」そうなのだ。人間は、一度覚えたことを簡単には捨てない。若い頃に学校で習ったこと。テレビで見たこと。家族が癌になったときに聞いた話。親戚が受けた治療。友人から聞いた体験談。それらが積み重なって、自分の中の「癌」というイメージになる。ところが、医療は止まっていない。新しい治療法が生まれ、治療の組み合わせも変わる。癌の性質を調べ、その患者に適した治療を考える。現在の国立がん研究センターの「診断と治療」の項目を見ても、手術、薬 物療法、放射線治療だけではなく、内視鏡治療、造血幹細胞移植、免疫療法、がんゲノム医療など、多くの治療や医療の仕組みが並んでいる。だから――。「昔はこうだった」という記憶だけでは、今の癌治療を語れない。これは癌に限ったことではない。医療も、コンピューターも、車も、通信も変わっていく。十年前に「これが最新だ」と思っていたものが、今では古くなっていることだって珍しくない。それなのに、人間は自分の頭の中にある知識だけは、なかなか古くなったと認めようとしない。そこに、少し厄介なところがある。久美さんが、例の保険の話を始めた。「じゃあ、私が入った癌保険も……」「保障内容を一度確認してみたほうがいいでしょうね」「放射線治療を受けたらいくら、手術ならいくらっていうところだけ見ていたわ」「それも大切ですよ。ただ、今は治療そのものが昔とは違いますから」保険が悪いわけではない。保険に入ることも悪くない。むしろ、病気や生活上のリスクに備えて、自分がどんな保障を持っているのかを確認しておくことは大切だ。問題なのは――。「癌になったら、きっとこうなる」と決めつけてしまうことだ。そして、その決めつけを根拠にして、「だから、この保険なら安心」と思い込んでしまうことだ。保険は、治療そのものではない。治療を受けるのは、病院である。どの治療が必要なのかを決めるのは、患者の状態を調べた医療者と患者本人である。そして、その治療に対して保険からどのような給付があるのかは、加入している契約の内容によって決まる。この三つは、似ているようで別の話なのだ。久美さんは、黙って保険の書類を見つめていた。その顔を見ていると、最初に届いたメールを思い出した。十四歳になる犬。自分では食事もできなくなり、寝たきりになった。長年可愛がってきた家族のような存在が弱っていく。その現実を目の前にして、人は自分自身の老いや病気を意識する。「もし自分だったら……」そう考える。そして、不安になる。不安になれば、何かにすがりたくなる。保険。貯金。健康食品。インターネットの情報。そして、自分が昔から知っている「癌の知識」。けれど、本当に必要なのは、不安を消してくれる何かを探すことだけではない。まず、知ること。そして、知ったつもりにならないこと。それなのかもしれない。「久美さん」「はい?」「癌になったときに一番大事なのは、癌という名前だけで治療を決めつけないことだと思います」久美さんは、黙ってこちらを見た。「どこにできた癌なのか。どのくらい進んでいるのか。どんな性質なのか。どういう治療が選択肢になるのか。それを一つずつ医師に聞いていけばいいんです」治療方針は、癌の種類や病期などを基本に、本人の希望や生活環境、身体の状態なども含めて検討される。必要に応じて複数の専門家が治療方針を検討し、治療の途中で見直すこともある。「じゃあ……」久美さんが少し笑った。「私が今まで知っていた癌は、癌そのものというより、昔の癌だったのね」「そうかもしれません」私は笑った。朝の何気ない会話から始まった。一匹の老犬の話。そして、保険の話。そこから始まった癌治療の話は、いつの間にか、私たち自身の生き方にまで戻ってきた。人間は、知らないことよりも、知っているつもりになっていることのほうが怖い。知らなければ、調べようとする。分からなければ、誰かに尋ねる。けれど、「知っている」と思った瞬間、人は調べることをやめてしまう。そして、時代が変わっても、自分の中だけは変わらない。癌治療も同じだった。昔の常識を持っていても、それは罪ではない。ただ――。その常識が今も通用するのか。一度、確かめてみる。それだけでいい。久美さんは、保険の書類を畳んだ。「一度、ちゃんと説明を聞いてみます」そう言った。私は頷いた。窓の外では、朝の光が庭に差し込んでいた。十四年間、生きてきた犬にも、これから治療を受けるかもしれない人にも、そして、今は何の病気もない私たちにも――。明日が来る保証はない。だからこそ、知っておく。考えておく。そして、必要になったときには、その時代の医療を信じて、医師と一緒に考える。「知っていること」と、「知ったつもり」。その二つは、似ているようで、まったく違う。そして人間にとって本当に怖いのは――。知らないことではなく、知ったつもりになってしまうことなのかもしれない。>この話が気に入ったら、ランキングバナーをポチッと押していただけると励みになります。



