人間の業 ― 綺麗事の裏側 第87話:空は未来へ、政治は過去へ

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    人間の業 ― 綺麗事の裏側 第87話(前編)副題:沈黙の海――防衛機密という名の境界線これはフィクションです。実在の人物・団体・事件とは無関係です。三沢の管制室で、画面が真っ黒になったのは午後零時五十八分だった。「通信途絶」短い報告が、室内の空気を一気に凍らせた。RQ-4B。アメリカから預かった目。日本周辺の警戒監視を担う、高価で、長く飛べて、そして中身を安易に語ってはならない機体。航空自衛隊の情報幹部、榊原一佐はモニターを見つめたまま動かなかった。落ちたのは機体だけではない。落ちた瞬間から、情報の扱いそのものが戦場になる。「位置は公海上。被害情報なし。海保には漂流物の通報ルートだけ渡せ」隣の幕僚が低い声で言った。榊原は頷いた。地元自治体へ出せるのは、そこまでだ。海域の危険を知らせるための最小限。機体の詳細、飛行経路の意図、センサーが何を見ていたか、通信途絶の直前に何が起きていたか――それらは別物である。翌午前、県議会で「防衛省からきちんとした話がこない。若干イラついている」という言葉が流れた。榊原はテレビの音声を切った。苛立ちは理解できた。漁船が行き交う海だ。注意喚起は必要だ。だが「きちんとした話」の中身が、どこまでを指すのか。そこに、この国の古い癖が顔を出す。「知事に説明しろ、という圧力が来るぞ」防衛省内の連絡調整で、誰かが言った。榊原は静かに首を振った。「説明すべきは安全に必要な範囲です。機体の能力、任務の性格、回収の優先順位、残骸から何が読み取られるか。それを地方政治の場で共有したら、もう秘密ではない」グローバルホークは、ただの無人機ではない。同盟国が日本に渡した監視の眼だ。その眼が何を見、どこを飛び、どのように管制されているか。その細部は、相手にとっても、味方にとっても、価値がある。価値があるものは、盗まれる。漏れる。一度漏れたら、信頼は戻らない。アメリカ側の連絡官は、言葉少なにこう言った。「We need to know you can keep it.」お前たちは守れるのか、と。榊原は昔、別の事故のあとで同じ言葉を聞いたことがある。機密は、隠しごとではない。信頼の契約だ。政治家が「地元として重要だ」と言うとき、その重要性は自己保全と住民の安全にある。軍が黙るとき、その沈黙は住民の安全のさらに外側――国そのものの安全にある。二つは重なるが、同じではない。夜、日本海は暗かった。捜索は続く。回収しなければならないものは、アルミと複合材だけではない。落ちた機体が何を知っていたか、敵がそれを拾う前に、こちらが先に封じる必要がある。県庁からは「情報共有を」と繰り返される。榊原はメモに一行だけ書いた。《共有するものと、共有してはならないものを、同じ机に置くな。》目覚め始めた組織は、沈黙の価値を学び始めている。一方で、旧い政治は今も「話せば済む」と思っている。話して済む世界と、話した瞬間に壊れる世界がある。防衛機密は後者だ。翌朝、榊原は短い内部メモを回した。「地元への通報は、船舶の安全確保に必要な範囲に限る。詳細な墜落推定点、機体状態、通信ログの性格、任務内容は一切出さない。これは隠蔽ではない。同盟を守るための最低限の作法である」誰かが苛立つのは当然だ。だが苛立ちに合わせて扉を開ければ、次に去るのは信頼のほうだ。米軍が去る口実を、自ら作ってはならない。海は何も語らない。語ってはならないものを、海は静かに飲み込んでいた。人間の業 ― 綺麗事の裏側 第87話(後編)副題:無明の刃――極秘機墜落と『知らされぬ者たち』鳥取県沖の日本海。暗闇がすべてを覆う午前二時、防衛省から派遣された調査隊は、雨の突風が吹き荒れる砂浜で機体の一部を引き揚げていた。だが、回収されたのは翼の破片や外装の断片に過ぎない。機体の「心臓部」――光学・電波センサー群と高度な暗号鍵が詰まったコアストレージは、未だ黒い海底のどこかに沈んだままだった。グローバルホークは単なる機体ではない。同盟国である米軍と即時共有される最高レベルの国家機密の塊だ。万が一にも、周辺を徘徊する中・ロ・北といった近隣国に「核心」を浚われれば、日米安全保障体制の信頼は一瞬で瓦解し、米軍が引き揚げる口実すら与えかねない。本来であれば、墜落直後から周辺海域を海上自衛隊と米海軍の艦船で埋め尽くし、対潜護衛艦や捜索機を重層的に旋回させて水域を完全封鎖すべき事態だった。しかし、現場付近に強固な捜索・警戒網が展開されたという気配はない。目覚め始めたかに見えた防衛省も、危機管理の底においては未だ「生ぬるさ」と失策の影を捨てきれずにいた。核心部の捜索が難航し、防護体制すら穴だらけであるという致命的な現実に、内部の人間だけが胃を焼かれるような焦燥を抱いていた。第2章:面子と正義の表彰台そうした現場の緊迫と危機的状況など露知らず、翌朝の太陽とともに政治家が声を上げる。「説明が遅すぎる。防衛省の対応には若干、イラついている」県庁の記者会見場。フラッシュの光を浴びながら、知事は眉をひそめてカメラに向かって言い放った。会見場の空気は、知事の「憤り」に同調していた。地元自治体の長として、住民の生命と財産を守るために毅然と国に説明を求める姿。テレビのニュース枠は、まさに彼が望む「地域住民の代弁者」としての勇姿を全国に垂れ流す。「安全管理はどうなっているのか。事実関係が分かるまで、運用の停止を強く要求する」言葉の端々に滲み出るのは、次の選挙に向けた周到な計算だった。「国に物言う知事」としてのパフォーマンスは、地元票を固める上で最も手軽で効果的なカードだ。防衛に関する機密保持の意味すら解さぬ地方首長にとって、防衛省を叩くことは自らの政治的対面を保つための格好のプロパガンダに過ぎなかった。その会見映像を、市ヶ谷の防衛省の一室で見ていた三佐は、冷めた眼差しで煙草の煙を吐き出した。「『若干イラついている』、か……」三佐は小さく鼻で笑った。知事が憤っているのは、住民の安全でもなければ、海底に沈む機密が他国に強奪されるリスクでもない。自分の知らぬところで事が動き、自分が「仲間外れ」にされたことに対する、政治家としての小さなプライドの欠損だ。「機密の塊であるグローバルホークの情報を、門外漢の地方首長に垂れ流せと言うのか? 情報を漏らせば米軍は去る。そして現場の生ぬるい警戒の隙を突かれ、他国の特殊艇に核心部を浚われれば……それこそ国家の終わりだ」第3章:交差せぬふたつの領域他国に「核心」を拾われかねない隙を晒しながら、なおも情報の沈黙を守ろうとする防衛省の生ぬるい現実感覚。そして、国民に情報を開示するという「綺麗事」を掲げながら、その実、次の選挙で自分の席と対面を守るためのパフォーマンスに終始する政治家。「どちらも、本当の意味で『この国』を守ってはいないな」三佐はデスクの端末を閉じ、暗い窓の外を見つめた。危機に対して後手に回る軍組織の甘さと、自己保身と無知を「正義」に包み込む政治家の滑稽さ。それらは決して噛み合うことのないギアでありながら、この国の「平和」という脆い薄氷の上で滑稽に回り続けている。雨はまだ、鳥取の海を黒く叩き続けていた。暗い海底で静かに泥に埋もれていく無人機の「核心」は、敵の潜航艇か、それとも自衛隊の重い腰か――どちらが先にたどり着くのかを知らぬまま、黒い闇の中に沈んでいた。>この話が気に入ったら、ランキングバナーをポチッと押していただけると励みになります。
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