拐かし (かどわかし) 第十四話

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2024-09-11 06:26:35
本当ならまだ灯はともしたくなかったが、月明かりがないため、やむを得ない。 孫兵衛は火打袋を取り出し火をおこし、用意していた提灯に火をともした。 舟首で提灯を掲げ、前途を照らす。 振り返ると、長崎橋の上に提灯の明かりがあった。 ふたりは橋の上にたたずみ、せめて舟の行き先を確かめようとしているらしい。 隅田川に漕ぎ出でて、本流を遡る。 櫓の動きが艱難になり、舟はなかなか進まない。 忠八はもうへばっているようだった。「おい、どうしたい。 堀から長崎橋まで往復してみたんじゃないのいかよ」 孫兵衛は?咤した。 忠八は苦しそうに顔を歪め、肩で息をしていた。「考えてみると、試しに漕いでみた時は俺ひとりだ。 いまは、兄ぃが乗ってるじゃねえか。 それに、八百両の重みも加わってらぁ」「それはそうだ…。 ところで、寄洲はどこにあるんだ?」 舟首で孫兵衛が提灯を掲げた。 金はいったん、中州に埋めることにしていたのだ。 先日ふたりで隅田川の岸辺から眺め、あのあたりの中州にしようと決めていた。 存外わかりやすい場所のはずだった。「それが、よくわからないんだよ」「そいつはどういうことだ。 しっかりしろい」「暗くてよく見えない。 それに、昼間、岸から見たときと、こう暗い、しかも舟の上からじゃあ、形が違うんだよ」「情けない野郎だなぁ。 まごまごしてると、夜が明けちまうぞ」「舟宿の舟頭なら、猪牙舟や屋根舟を漕いで毎日のように隅田川を行き来している。 寄洲の場所は目をつぶっていてもわかるだろう。 だがよ、俺は舟宿の舟頭じゃないってことぐらい先から承知のはずだぜ。 そんなに言うんなら、おめえさんが寄洲を見つけてみろい」 忠八が怒鳴り返してきた。 櫓から手を離し、舟尾に座り込んでしまった。 勝手にしやがれとでも言いたげな表情で、そっぽを向いている。 流れに舵を取られ、次第に舟足は速まり、あっという間に葦の原に突っ込んでいった。 ズズッと舟底を擦るような音がし、速度が急激に落ち、舟が衝撃で揺れた。 孫兵衛が慌てて提灯で照らすと、葦が生い茂る中州の泥の中に舟首が突っ込んでしまっていた。「おい、寄洲だ。 ここにしよう」「ほう、うまい具合に寄洲に着いたか」忠八の声もはずんでいた。 ふたりで布袋の中の小判、二分金、一分金を数えながら、用意していた大きな壺に入れていった。 ちょうど8百両あった。「俺は準備に用立てた四両と小春に渡す一両二分、合わせて五両二分をもらうぜ」「じゃあ、俺もとりあえず五両二分、もらっておこう。 吉原で遊ぶつもりだが、かまわねえだろう」「ああ、そのくらいなら目立つまい。 ただし、海老屋には来るなよ」「ああ、行くもんか」 ふたりは顔を見合わせ、笑った。 金は中州に埋めて隠し、ほとぼりが冷めるまで、少なくとも半年は手を付けないというのが約定だった。>