サヨナラだけが人生だ

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マゾヒズムに花束を!
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2021-09-16 12:36:11
いつの頃から「人生百年」時代と言われているのか知らないけれど、このフレーズは、どれくらいの年代の人たちに向けられているんだろうね。まさか99歳の人に、あなたの寿命はあと1年ぐらいですよという意味ではなかろうもん。 大雑把には、今まさに働き盛りの人達に向けられたメッセージなのだろう。 昔は還暦すぎたら、いつお迎えが来ても、うろたえないぐらいの覚悟というのか、悟りとでもいうのか、「あと何年、生きられるのかな?」程度の気分にはなれていたように思います。 だけど、「何歳まで生きる!」と言えるほど明確な意思も思想も、少なくとも僕にはないように思う。 まぁ、深刻な病気の人には申し訳ないですけれど、漠然と、運がよければ、老衰で逝くんじゃないかな?というぐらいの感覚だろうか。 実は、私事で恐縮ですが、今年の春に脳出血で入院し、ICU(集中治療室)で三日三晩、生死の境を彷徨いました。幸いなことに、大事には至らず、3週間ほどの入院、加療の後、現世に復帰しましたが、一時は「もはやこれまでか」という、あきらめにも似た気持ちをリアルに味わいました。 医師に、「あなた、もう少しで死ぬかもしれなかったのですよ」と言われた時、不思議と、「別に死んでも、構わなかったのに」、とも思ったものです。 しかし、それは口にしなかった。 口にするのは怖かったけれど、本当に不思議なことに、少し哀しい気分になったぐらいで、なんとなく、覚悟は出来ていたような気がします。 心の準備こそできてはいなかったかもしれないけれど、この問題は、どうすることも出来ないことは、わかっていた。 おそらく40代、50代の時には、きちんと、わかっていなかった。(今もだが・・・) 還暦を過ぎると、なんとなく、悟りではないけれど、あきらめとも、絶望とも違う、でも、かなりシリアスなモードで、ふと、腑に落ちるような感覚は、身についていくものなのではないでしょうか。 身近な人たちの、悲しいお知らせを耳にすることも増えてくるお年頃でもあるし。 昨年、春川さんが亡くなられた時には、メメント・モリについて深く考えさせられました。 いやでも、いろいろなことを考えてしまう。 若い頃は、いや、50代でも、自分がまだ若いと思っていた時には、生きることについては考えても、死ぬことについてまでは、あまり真剣に考えなかった。 幸いなことに、自殺したいほどまで絶望したこともありませんでしたから、生きるとは、最終的には逝くこと、すわなち死ぬことだという、当たり前のことにも、目を背けていたように思う。 (今もかもしれないが・・・) 期せずにして、このブログのプロバイダ(FC2)から、もう終わりになるかも?というようなお知らせが届きました。 システムの変更後(10月以降)、どうなるのか知りませんが、もしかしたら、もうこれでおさらばになるのかもしれません (>_