人間の業 ― 綺麗事の裏側 第76話:豊かさを食い尽くした国の、円環する貧しさ

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    人間の業 ― 綺麗事の裏側 第76話副題:ハノイへ戻るバスと、夏の終わりのタケノコ夜の帳が下りたあとも、街はまだ熱を残していた。コンクリートの壁は昼間の陽を吐き出し、路地の奥で誰かが低く咳き込んだ。事件は、その熱のなかで起きた。女は調べの場で、静かな声で答えた。持っていたのは数万円だと。額を伏せるように目を落とす仕草は、怯えと疲労のあいだで揺れていた。だが調べが進むにつれ、数字が別の顔を見せる。六百万円。しかも、すでに詐欺の届が出ていた金額と、寸分違わぬ額だった。その一致が、室内の空気をわずかに変えた。女の肩が、ほんの一瞬、内側へ縮む。襲った男も、襲われた女も、同じ方角から来た者たちではないか。本国から何らかの名を受け、同じ網の目のなかで動いていたのではないか。疑いというより、静かな確信に近いものが、調べる側の胸に降りてきた。言葉にはしない。ただ、女の指先が、膝の上で小さく震えていたことだけが、長く残った。国境マニアの日本人女性が中国とベトナムの国境を目指したとしよう。取り敢えず北へ向かうことにした。ロロ族の村へ。空路ハノイへ、そこから北をを目指し、バスに乗った。窓の外は、湿った緑と断崖絶壁の層が交互に流れる。休憩地点に到着すると、強制的に全乗客は降ろされる。言われるままに降りて休憩をとる。やがて中継地点に到着。言われるままに乗り換える。料金を払い、別の、さらに小型のオンボロバスに乗る。これを幾度か繰り返し、やがて気づく。ハノイへ逆戻りしていた。ループのなかで、財布の中身が少しずつ減っていく。乗車賃と飲食代は、国家の細い血管を通ってどこかへ消える。ベトナム戦争に勝ったとき、人々は自分たちの国を自分たちの手で作るのだと思ったはずだ。共産という名の夢は、富国という輪郭を持っていた。今、その夢は、乗り換え案内の声と、熱い茶の湯気のなかで、小さく湿っている。情けない、という語では足りない。胸の奥で何かが、ゆっくりと折れていく音がした。本来ならタケノコを掘る季節ではなかった。日本なら春以外、ほとんど誰も昇ってしまったタケノコを採取しない。だがここでは、夏の終わりに近いこの時期でも、人々は密林の奥へ分け入る。食に事欠くからだ。いや、それより先に、市場へ持っていく、つまり現金収入を得るものが、小作人には無いからだ。籠の底が空であることのほうが、空腹そのものより先に人を動かす。ベトナムはかつて、豊かな恵みの地だったはずだ。奪い合いになったのも、その豊かさゆえだったはずだ。しかし今、コンクリートブロックやレンガで代表される「投げやり」さが、豊かであったはずの土地を薄く削っている。土は疲れ、芽は細く、収穫はスジばったタケノコ様のモノばかりになる。売るための規格に育たない。だが、やせ細った大地でも、竹だけはなお盛んに頭を出す。その執拗さが、かえって貧しさを増長させる。中米の人々は「アスタ・マニャーナ」と言う。まあ、明日考えよう。なんとかなるさ。畑を必死に耕さず、肥料を撒かず、焼き畑をやるなど急くことがない。古来からもたらされた恵みを、素のまま受け取り、そのなかで暮らす。楽観は、怠惰というより、土地への信頼に近い。対して、黄色の肌をした者たちは生真面目で、休みを悪と捉える傾向がある。やせ細った体は身軽だ。その軽さを武器に、土へ向かう。休むことを許さぬ視線が、自分自身にも向けられる。勤勉は美徳であり、同時に、土地を削り続ける刃にもなる。密林に入っても、もはや収穫できるものは少ない。飢えた心に中国から越境して仕込まれた悪が、静かに根を張る。中央は地位を保つために目をつむる。目を閉じたまま、国は回っているように見せかける。回っているようで、実は同じ場所を円を描いているだけなのかもしれない。バスがハノイへ戻ったように。こうなると、内側からだけでは救えないように思える。外部の力で、一度、色を塗り替えるほかないのではないか。その考えは冷たい。それでも、タケノコを掘る背中を遠目に見たとき、胸のどこかが、その冷たさを受け入れかけてしまう。女の伏せた目も、バスの窓に映った自分の顔も、同じような湿気に覆われていた。>この話が気に入ったら、ランキングバナーをポチッと押していただけると励みになります。
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