人間の業 ― 綺麗事の裏側 第86話:飯と屋根をもらう前に、一度立ち止まれ
画像2枚
2026-09-22 20:00:00
人間の業 ― 綺麗事の裏側 第86話(前編)副題:「好みだった」「助けになる」では、恋人にも自立にもならない2025〜2026年にかけて、歌舞伎町周辺やSNSで「海外なら短期間で大金が稼げる」「犯罪じゃない」と誘われ、宿泊施設経由でカンボジアやインドネシアなどに連れて行かれた20代女性の事件が複数報じられています。家族が捜索願を出し、男は逮捕されても同様の勧誘を繰り返していたケースもあります。女性側は当初、家出後に自力で食えない状況で、誘った男を「どちらかと言えば好み」と感じ、食べさせてもらい住まわせてもらえれば、という心情だった、と recitation されることがあります。現地では約束と違う仕事(特殊詐欺のかけ子など)をさせられ、外出が制限され、大使館に逃げ込んで保護された例もあります。「好みだった」「飯と家が出るなら」「男の手助けになれば」は、家出直後の生存本能としては理解できます。しかしそれは恋愛の定義ではありません。相手があなたを「関係」として扱っているのではなく、移動させられる人材、働かせられる人材として見ている可能性が高い。情状酌量が付いても、あなたのパスポート、居場所、家族との関係、健康、前科・被害歴は戻ってきません。自分の力で食えないなら、まず公的な相談窓口・シェルター・生活保護・就労支援を使ってください。見知らぬ、または「ちょっと好き」程度の男について国外に出る判断は、恋愛でも自立でもなく、相手の都合に自分の身体と移動の自由を預けることです。家族が捜索願を出す段階で、すでに関係は壊れています。その時点で「仕事上の付き合い」と呼んでも、相手はあなたを仕事の道具として扱っているだけです。繰り返される逮捕と情状酌量は、加害側の常習性を示しているのであって、被害側の選択が正しかったことの証明ではありません。家を出る前に、または出た直後に、一人で食えないなら一人で食える場所(公的支援)を探してください。男が用意した屋根と食事は、たいてい後から高くつきます。人間の業 ― 綺麗事の裏側 第86話(後編)副題:甘い依存の果て「私たち、付き合ってるよね?」その問いに、男はいつも微笑むだけで明確には答えなかった。彼女にとって男女関係の定義とは、言葉による約束でも、交際届のような形式でもなかった。「どこまでいけばカップルなのか」という問いの答えを、彼女は意図的に曖昧にしていた。食事を共にし、同じ屋根の下で眠り、男が必要とするときに体を差し出す。そして何より、男の「仕事」を手助けしているという事実。自分が彼に依存し、彼もまた自分を必要としている関係――それを恋人と呼びたくなるのは、寂しさを抱えた人間の哀しい性(さが)だった。家出をしたものの、己の力では明日食べるパン一食すら稼げない。そんなときに声をかけてくれた男は、見た目も立ち振る舞いも、どちらかと言えば好みの部類だった。「食わせてくれて、住まわせてくれる」。ただそれだけのことが、無価値に思えた自分の人生に小さな居場所を与えられたように感じさせた。だからこそ、彼女は自分に言い聞かせ続けた。「これは仕事上のお付き合い。でも、心は通じ合っている」と。「少し遠出をしよう」その甘い囁きに誘われるまま、パスポートを持って男の後をついて行った。行き着いた先は、湿った風と見知らぬ言語が飛び交う東南アジアの路地裏だった。そこで待っていたのは、ロマンチックな逃避行などではなく、男の「仕事」の道具として消費される日々だった。日本に残された家族からは捜索願が出され、やがて男は現地当局と日本の警察によって逮捕された。しかし、絶望的だったのはその先だ。男が同様の前科を数回も繰り返していたにもかかわらず、裁判では巧妙な弁明と司法取引により「情状酌量」が認められ、比較的軽い刑で済んでしまったのだ。男にとって彼女は、使い捨てのコマの一つに過ぎなかった。取り残された彼女に残ったのは、冷めきった現実と、警察の取調室で突きつけられた自責の念だけだった。――ここで、甘い幻想に逃げ続けていた彼女たちに苛烈な現実を言わなければならない。自分の足で立つ覚悟を放棄し、「食わせてくれる」「好みのタイプだから」という目先の安らぎに飛びつく行為は、救済を求めることではなく、己の人生の主導権を他人に売り払うことに他ならない。相手が差し出してきたのは愛ではなく、ただの餌だ。「仕事上のお付き合い」という便利な言葉で自分の立場を誤魔化し、都合の良い愛人に甘んじていたのは誰か。男の手助けをしているつもりで、実際は男の犯罪や悪徳を助長する片棒を担いでいたに過ぎない。「嫌なら逃げ出せばよかった」という正論が通じないほど精神的に追い詰められていたとしても、最初の「楽な道」を選んだのは自分自身なのだ。男女関係の定義など、互いに自立した人間同士が尊重し合って初めて意味をなす。他人に依存し、自分の人生の責任を丸投げしている関係を「恋愛」や「カップル」と呼ぶのは、ただの自己欺瞞である。捜索願を出してまで必死に探してくれた家族の元へ戻った彼女は、今度こそ自分の足で歩く厳しさと向き合わなければならない。男の情状酌量に憤る前に、己の甘さと無知が招いた代償の重さを、その胸に刻みつけるべきなのだ。>この話が気に入ったら、ランキングバナーをポチッと押していただけると励みになります。



