人間の業 ― 綺麗事の裏側 第53話:手一杯だから放す、という綺麗事の果て
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2026-08-18 20:00:00
人間の業 ― 綺麗事の裏側 第53話(前編)副題:野に戻される命と、仲間内で終わる啓発活動早朝の空気はまだ冷たく、団地の遊歩道には薄く霜が残っていた。私はいつものように、ゆっくりと歩を進めた。雑木林の手前まで来たとき、足元で小さな影が動いた。背中が真っ黒で、お腹だけが白い。人懐っこく、屈み込んだ私から逃げようともしない。生後間もない子猫のように見えた。耳にカットの痕はなく、そば寄ると細い声を上げて私の足に擦り寄ってきた。このあたりは、知り合いで保護活動をしている方の家のすぐ裏手だ。私がさらに寄ると、林の奥から数匹の影が一斉に飛び退いた。団地内には、それこそ数え切れないほどの野良猫がいる。毎日見かける顔もあれば、初めて目にする顔もある。その日は久美の訪問介護の日だった。彼女の顔を見るなり、私はさっそく話題を切り出した。「今朝、雑木林の近くで子猫を見たよ。黒白で、すごく人懐っこい子だった」久美は頷くやいなや携帯を取り出し、電話をかけた。相手は件の保護活動家だった。受話器の向こうの声は、疲れ切ったように短く答える。「もう手一杯で、この頃は処置を終えたら放すんです。もし耳が切られていなかったら保護に向かいますが……背中が黒くてお腹が白い猫なら、おそらく処置を終えて放した子ですね」電話を切ったあと、久美は少し申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。「あの人、実は重度の緑内障なんです。本当はすぐにでも治療に通わなきゃいけないのに、猫の手入れと費用に追われて病院にも行けない。片方の目はもう、ほとんど見えていないんですよ」自分の身体を削り、視力を失いかけてまで猫を抱え込んでいる。それなのに、世界は容赦なく次の命を押し付けてくる。悲惨極まりない。しかし、そこから先説明を続ける気配はない。彼女は高次脳機能障害を抱えており、一度激高し始めると手がつけられなくなる。私はそれ以上、何も言えなかった。――アレアレ、と思った。猫を保護する目的は、ただ避妊去勢の手術を施すことだけではないはずだ。猫エイズや猫白血病といった不治の病を予防し、犬の狂犬病予防接種と同じように、定期的なワクチン接種や健康管理を行ってこそではないのか。それなのに、一度処置したらそのまま野に放してしまう。耳の先をさくら型に切り、「処置済み」の印をつけて再び野良に戻す。定期的なケアが必要である以上、放してしまっては本来の意味をなさない。さらに尋ねれば、放し飼いをやめない飼い主たちへの啓発活動もやめてしまったという。相手にしてもらえないから、と。結局は仲間内で苦労話を語り合い、互いに慰め合って終わりにしているのだ。綺麗事の裏側は、いつもこうだ。「保護しています」「命を大切にしています」と口では高らかに掲げながら、キャパシティの限界を理由に、途中で責任を手放す。啓発活動も反応が乏しければすぐに諦める。結果として野良猫は増え続け、病気を抱えたまま街を彷徨い、*尿被害を撒き散らす。遠いギリシャのミコノス島でも、同じようなことがあったと思い出す。避妊去勢をして放す施策が導入され、一時は「適切に管理されている」と持て囃された。だが結果は環境の改善どころか真逆だった。*尿被害が深刻化し、病気の猫が多発。増えすぎた頭数に自治体の財政も追いつかなくなったという。表面的な処置だけでは、根本的な解決になり得なかったのだ。私は窓の外に目をやった。団地の片隅で、また別の影が蠢いている。あの黒白の子猫も、今頃はどこかで寒さに震えているのだろうか。耳は切られていなかった。しかし、切られていようがいまいが、放されたあとに待っているのは過酷な野良の日常に過ぎない。久美はお茶を淹れながら、どこか言い訳するように同じ言葉を繰り返した。「みんな、最初は本気だったんですよ。でも続かないんです。現実が重すぎて……。県議さんにもお願いしたみたいですけど、取り合ってもらえなくて」私は頷いた。だが、胸の奥では冷ややかな声が響いていた。本気だったのなら、なぜ途中で手放すのか。啓発をやめたのなら、なぜ「保護しています」という看板だけは掲げ続けるのか。綺麗事を飾ったまま、何も変わらない現実を放置する。それこそが、人間の業というものなのか。翌朝、私は再び同じ道を歩いた。雑木林の近くに、あの黒白の子猫の姿はもうなかった。代わりに、耳の先が少し欠けた別の猫が道端に座っていた。私を見ても逃げず、ただ静かにこちらを見つめている。なんだかなぁ、と溜息をつきながら、私は足を止めた。綺麗事の裏側には、いつだって「仕方ない」という言葉が転がっている。その言葉をいくら拾い集めたところで、誰も責任を取ろうとはしない。ただ、猫たちだけが、静かにこの街で生き、そして増え続けていく。(53話 後編に続く)人間の業 ― 綺麗事の裏側 第53話(後編)副題:見殺しにされる善意「あの白黒の子ね、実は……保護活動をしてる人の、目と鼻の先にある家の猫なんです」お茶の湯気が立つテーブルの向こうで、久美が抑え気味の声を漏らした。だが、その声の奥には、ふつふつと煮え滾るような怒りの熱量が混じっていた。聞けば、その飼い主は猫を家の中に一歩も入れず、ただ家の外で餌だけを与え続けているのだという。見かねたボランティアが「お願いだから家から出さないで、室内で飼ってください」と頼み込みに行ったところ、相手はまともな話し合いにもならず、怒鳴り散らして追い返したそうだ。「外で餌だけやって、避妊もせず、増えたら知らん顔。都合のいい時だけ『可愛がってる』なんて、勝手すぎるでしょう?」久美の手が小さく震えていた。彼女が抱えている障害は知っている。感情の起伏が一度激しくなると、しばらくの間自分でもコントロールが効かなくなる。その彼女が今、必死で感情を押し殺し、本来あるべき姿について言いつのっている。彼女が、こうまでして怒る本当の理由は、至極明白だった。理不尽なのは、無責任な飼い主だけではない。ボランティアたちは行政にも救いを求めたであろう。地元の県議にも相談を持ちかけたであろう。だが、言い出しっぺのその県議は「大変ですね」「活動には頭が下がります」と口では力になるようなポーズを見せ、ボランティアの集会にも顔を出すが、「野良猫への無責任な餌やり禁止」や「室内飼育の義務化」「違反者への罰則」といった具体的な県条例を作ろうという動きになると、途端に言葉を濁し、煙に巻くのだ。条例を作れば、無責任に放し飼いをしている住民たちを敵に回すことになる。罰則でも設けようものなら、「厳しい」「住みにくい」と批判が上がり、次の選挙で票を失う。自分の手で票田を壊すような真似を、政治家がするはずもなかった。「結局、誰も責任なんか取らないんです」久美の声が、乾いた音を立てて響いた。行政も政治も、厄介事には蓋をする。結局、そのツケを払わされているのは、ほぼ自腹で手元金を切り崩しながら、終わりなき保護と処置を続けるボランティアたちだ。金も尽き、体も限界を迎えれば、処置だけして野に放すしかなくなる。そして啓発活動すら諦め、仲間内で傷を舐め合うだけの存在になっていく。久美が腹を立てているのは、活動家の限界そのものに対してではない。ボランティアを泥船に乗せたまま、綺麗事だけを語って見殺しにする構造――無責任な飼い主と、保身に走る政治家、そして無関心な社会のシステムそのものに対してなのだ。人間の都合で増やされ、野に放たれ、病に怯える猫たち。人間の都合で「命を救う」という言葉を背負わされ、疲れ果てるボランティア。そして、傷つくことを恐れて動こうとしない権力者。どれもが、人間のエゴとズルさの産物だった。「ごめんなさい、熱くなっちゃって」久美は深呼吸をし、少し震えが残る声で言った。激高の波をなんとか抑え込んだ彼女の顔には、怒り以上に深い疲弊が滲んでいた。「ううん。久美さんの言う通りだよ」私は静かにそう答えるのが精一杯だった。綺麗事を語るのは易しい。「命は大切だ」「動物に優しい街を」と看板を掲げるのは心地よい。だが、その綺麗事の裏側で生じる不都合やコストを、誰か特定の善意に押し付け、自分たちは安全な場所から動こうとしない。散歩道の雑木林で前を横切った黒い影が頭の隅を掠める。あの白黒の子猫は、2軒隣の家から数メートル離れた雑木林を棲み家にし、投げ与えられた餌を食べ、湿っぽい落ち葉の上で明日を迎えるのだろう。耳を切られようが切られまいが、猫エイズや猫白血病の予防といったケアを受けられないことだけは確かだ。成長した先で訪れるであろう縄張り争いの果て、不治の病に侵されて静かに消えていく――。「人間の業」という言葉が、重く胸に沈み込んでいく。私たちはいつまで、この「仕方ない」という言い訳で塗り固められた綺麗事の街で、知らん顔をして生きていくのだろうか。窓の外では、今日も冷たい風が団地の隙間を吹き抜けていた。(第53話 完)>※完全オリジナル作品です。二次創作ではありません。#人間の業 #歴史の循環 #心理小説 #綺麗事の裏側この話が気に入ったら、ランキングバナーをいただけると励みになります。
