人間の業 ― 綺麗事の裏側 第51話:グローバル資本主義の歪みと「見えない戦争」への警鐘
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2026-08-15 20:00:00
人間の業 ― 綺麗事の裏側 第51話(前編)副題:メモリの値段が暴く、静かな制裁パソコンの動きが、ここ数日、明らかに鈍い。起動に時間がかかり、ブラウザを複数開いただけでファンが唸り、時折フリーズする。原因はすぐにわかった。メモリだ。数年前に増設した1枚はまだ動いているが、元々の古い、容量の低い方と混在させている。速度が揃わない。両方とも新しい、高容量のメモリに換えよう。そう思って、いつもの通販サイトで買い物の履歴を開いた。昨年の同じ時期、同じ容量で15,800円だったものが、今は39,800円。倍以上だ。画面を見つめたまま、指が止まった。メモリは世界的に品不足だという。理由は「需要の急増」と公式には言われている。だが、弱電機器製造会社に勤める美里が、先日の電話でぽつりと漏らした言葉が頭から離れない。「去年、工場増設の話が出てたんですよ。需要が伸びるからって。ところが今は……増設どころか、存続の危機です。某国との関係が悪化してから、部品の供給が急に渋くなった。嫌がらせとしか思えないんです」美里の声は、いつもの明るい調子を失っていた。工場の同僚たちも、静かに不安を口にしているらしい。納期が遅れ、単価が上がり、取引先からのクレームが増える。表面的には「市場の変動」で片付けられるが、現場にいる者には肌でわかる。あからさまな圧力だ。メモリは、ただのパソコン部品ではない。精密な半導体。兵器の制御系統にも転用できる。だからこそ、供給を握る側が意図的に絞る。綺麗事の裏側では、そういうことが普通に行われている。私は以前、廃品回収の件でも同じことを感じていた。回収された電子機器の一部が、どこかへ流れていく。表向きは「リサイクル」。だが、追跡すれば特定のルートに集中する。誰かが欲しがっている部品がある。誰かが、欲しがらせないようにしている。今回も同じだ。カートの数字を眺めながら、私は思う。これはただの物価上昇ではない。品不足の名を借りた、静かな制裁。表向きは「自由貿易」を謳いながら、裏では供給網を人質に取る。綺麗な言葉で塗り固められた、人間の業(ごう)だ。美里は工場の存続を心配している。彼女の同僚たちも、家族を抱えて毎日出勤している。彼らの生活が、遠い国の「外交カード」にされている。私はカートを閉じ、新しいメモリの購入を一旦保留にした。高いからではない。この値段の裏に何が隠れているのかを、もう少し考えたいからだ。パソコンはまだ動く。遅いが、動く。だが、世界はすでに動き始めている。静かに、しかし確実に。誰かが「品不足」と呼び、誰かが「市場原理」と呼び、誰かが「安全保障」と呼ぶ。どれも綺麗事だ。その裏側で、誰かが利益を得て、誰かが追い詰められている。私は画面を消し、窓の外を見た。日常は変わらない。だが、日常を支えているものがすでに揺らぎ始めていることを、私たちはまだ、ちゃんと認めていない。(51話 後編に続く)人間の業 ― 綺麗事の裏側 第51話(後編)副題:姑息な手段が教えてくれた、買い換えない選択という窓の外では、夕暮れの街をいつものように車が行き交い、人々が買い物袋を下げて歩いている。誰も、この静かな亀裂に気づいていない。あるいは、気づいていたとしても「最近、日本製のPCや家電が高いね」「注文しても、入荷が遅いね」という程度の一時的な不便として片付けているのだろう。スマートフォンを開けば世界中のニュースが流れてくるが、画面を指でスワイプすれば、多少時間を要しスムーズとはいかないまでも、なんとか次のエンタメ動画に切り替わる。日々の生活に直接ミサイルが飛んでこない限り、供給網の寸断という「見えない戦争」を切実な危機として捉える人は多くない。資本主義というシステムは、あまりにも込み入っていて、そしてあまりにも他人事だ。かつてグローバル化が推し進められた時代、私たちは「最も安い場所で作り、最も効率的なルートで運ぶ」ことが最善だと教えられた。国境を越えた資本の移動は平和をもたらし、市場の自由な競争が豊かな社会を作ると信じられていた。それは時に、一部の起業家へ未曽有の豊穣をもたらしもした。しかし、その「効率性」の極致こそが、今の脆弱さを生み出している。コスト削減のために極限まで削ぎ落とされた供給網は、どこか一箇所のバルブを締められるだけで全体が麻痺する。そして一度冷戦のような対立構造が持ち込まれれば、自由市場という建前は容易に国家や個人を脅かす「武器」へと変わる。研究開発に携わった人々の中には、高額な報酬に惹かれ、技術を手土産に外国資本へと渡っていった者もいた。利益を最大化するための自由競争が、巡り巡って自らの首を絞める外交カードに利用される。この逃げ場のないもどかしさこそが、現代の資本主義が突きつけている限界なのだと、冷えた画面を前に思う。ならば、私たち日本人は、これからいかに生きるべきなのだろうか。安価な外国産の製品や部品に依存しきり、それらが滞るたびに右往左往する構造から、一朝一夕に脱却することはできない。だが、度重なる裏切りは日本国内の信頼関係をも破綻させた。高齢となった起業家は今さら借金をしてまで技術開発に取り組もうとはしないだろうし、働き手もかつての重役を「老害」と称し、受け入れようとしないだろう。「安ければいい」「効率的であればいい」という、資本主義の単純な物差しだけを信じ続ける時代は終わったのだ。まず必要なのは、私たちの「豊かさ」の定義を組み替えることだ。なんでも即座に手に入り、使い捨てては新しいものを買う消費のサイクルから、過去の産物を見直すなどして、少しだけ距離を置くこと。美里のいる工場のような国内の技術や製造現場、身近な産業の価値を正しく再評価し、単なるコスト比較ではない「日本人なりの選択」をすること。自国の足元にある資源や技術、そして食料やエネルギーの自給能力を高めていく泥臭い努力を、国家としても個人としても軽視しないことだ。そして何より、与えられた「品不足」という言葉を鵜呑みにせず、その裏にある社会の構造や意思を疑う眼差しを持つことではないだろうか。社会の仕組みにすべてを委ねて思考を止めるのではなく、違和感を抱き、考え続けること。それは小さく頼りない抗いに見えても、歪んだシステムに飲まれないための唯一の防波堤になる。静まり返った部屋で、私はもう一度パソコンの電源ボタンを押した。ファンが小さく唸りを上げ、ゆっくりと画面が立ち上がる。動作は相変わらず重く、ブラウザを開くだけでも一苦労だ。けれど、この遅いパソコンと付き合いながら、私は当面、古いメモリのまま過ごすつもりだ。買い換えないという選択は、ただの節約ではない。世界が突きつけてくる無言の圧力に対する、私なりのささやかな拒絶だ。画面の向こう側で動いている大きな力に思いを馳せながら、私はキーボードに手を置いた。揺らぎ始めた日常の中で、自分の足で立ち続けるために、今できることを一つずつ探しながら。(51話 完)>※完全オリジナル作品です。二次創作ではありません。#人間の業 #歴史の循環 #心理小説 #綺麗事の裏側この話が気に入ったら、ランキングバナーをいただけると励みになります。
