生きる

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     かつて「日本三大M男」としてその名を馳せたガッちゃん氏が、昨年他界されました。 そのスジではとても有名な御仁で、マゾとして生きる男性の世界観に多大な影響を与えていました。 昔、何度かお目にかかったことがあり、敬愛の念を抱いておりました。 彼がお亡くなりになったのは、僕が脳梗塞で入院中のことだったらしく、詳しいことは不明ですが、故人を偲ぶ会なるものが馬之介氏を発起人とする親しい交友関係者だけで行われたようです。 遅ればせながらご冥福をお祈り申し上げます。 還暦を過ぎて身体や脳が衰えてくると、自分もいつ、どのようにこの世を去ることになるのであろうか、などということをチラホラと考えるようになります。 平たく言えば、残された短い人生をどう生きるのか、今さらではありますが真剣に思い悩む思考です。 ガッちゃんの訃報を知った時、捕らえ所のない喪失感と同時に、こんなことを真面目に考えてしまう自分に戸惑いました。 若い頃から僕は、恥ずかしい性癖に悩みながらも、どう生きるべきかを模索してきたように思います。それなのに、人生をテキトーに生きてしまった自分が恥ずかしい。 そしてガッちゃん氏の凄まじいM人生に敬服しつつ、自分の生きざまを見つめ直してみた時に、ふと気づいたのです。 僕たちは、どう生きるべきか?を考える前に、「生きるとは、どういうことなのか?」をまず考えなければならないのでは・・・と そこまで考えなくとも、「マゾとして隠れて生きる」とはどういうことなのか? 自分はたまにSMクラブに逝く程度のエゴ偽M男の分際で、偉そうなことを言うつもりもありませんが、がむしゃらに生きてきたがっちゃん氏ほどではないにしても、恥ずかしい性癖を内面に閉じ込めつつ、戸惑いながら人生を歩んで半世紀余り。この拙ブログで告白してきたように、恥ずかしくてためになる人生ではあったことには感謝しています。 誰にだって、どんな人生にも、病気や怪我はあるでしょう。それらがないからといって幸福とも限りません。哀しい事に、不幸な人、不運な人は大勢いる。 哀しい時、絶望した時、それでも生きつつある己を励ますために、人は生まれながらにして死につつあるのだ、と考えてしまいます。人生の意味が照らし出されるのは、死につつある時なのかもしれません。 なるようにしかなならん。それも人生だと思う。  
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