事実でも虚構でもない世界

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マゾヒズムに花束を!
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2024-02-10 17:38:25
女王様とのセッションの最中で、あまりにも魅惑的な体験に恍惚となり、「あぁ… これは現実のことなのだろうか?」と、うっとりしてしまう時がある。 もちろんそれは現実ではなく、演劇的な虚構であり、妄想であることはわかっている。しかし我を忘れて陶酔していると、虚実皮膜の間に形成される独特の広がりを持つリアリティに驚かされる。 自分が理想とするセッションにするため、「根回し」や「段取り」という手間ひまは虚構ではなく現実のものだ。 念入りに準備された構成やシナリオが実現されることもあれば、即興的に創りだされる瞬間もある。この虚実の間の広がりが、いかに形作られ、変容してゆくのか。 自分の脳内妄想をファンタジーとして体感できるという、いわばヴァーチャル・リアリティの現場にいる己の姿を、セルフィー画像としてこうして再確認するというのも、虚実皮膜の妙と言えるのであろうか。 昔、SM雑誌のグラビア写真で、M男モデルの姿に自己を投影して楽しむという形式の、記憶や表象の生成がここに脱構築されている。 女王様にセッション中のぶざまな姿を「激写」されてしまって、SNS等で公開されてしまう狂気にも紐づいているのであろう。 他者から鑑賞されると同時に、自分も別の他者の醜態を、いや、男性マゾヒズム的には多様な「美しい」姿を鑑賞する。 その狂気を美意識として快楽と呼ぶためには、人間や文化、風俗のあり方に関わる新たな視野、価値観が求められるのであると思う。