スマホを構える淑女たち

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マゾヒズムに花束を! 4view
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     最近、街や電車の中でスマホを構える女性を見かけると、少しドキドキする。 彼女たちの自撮りではなく、まるで僕を撮影しているかのように錯覚する時。 そんなことで激昂してしまうほど、自分を異様なヘンタイだとは、思っていなかった。   ↑ 自意識過剰だっちゅう〜の (。。)☆\バキ でも、スマホを構えている淑女のポーズには、なぜかセクシーな度合いが高まる気がする。 女性の顔が、スマホに隠れてよく見えにくいのもポイント。 もちろん表情を見てみたい気もするが...  見えそうで見えないチラリズム(←もしかして死語?)がいい〜んです。 顔が隠れていることで「匿名性」が強化され、新たなるエロスとでもいおうか、想像力でどうにでもなる余白の大きさ、ファンタジーの魅力が高まる。 衣装もそれほど刺激的ではなくていい。 上品でエレガントであれば申し分ないが、そこが難しいところだ。 好みの問題もある。 ただ言えるのは、上品であればあるほど、下品なファンタジーの方が映える。 昭和世代のオジさん(もう爺さんだが)は、今でもボディコンには弱いです。 いつ頃からの傾向か知らないが、SMクラブなどでもプロ女王様がプレイ中に、わりと気軽に写メを撮るようになった。 昔は、セッション中の撮影は禁止とまでは言わないが、あまり積極的ではなかった。 記念写真程度にオプションでポラロイドカメラが用意されてた程度。 スティーブ・ジョブズに言わせると「再発明」されたスマホは、電話ではなく、デジカメとしての機能がよりいっそう身近になった。そして同時多発的に登場してきたSNS系のプラットフォームへ自撮画像が供給され、共有もされる。 かつて、これほど自撮り文化らしきものが、隆盛を極めた時代があっただろうか。 古くは古代のナルシズムに端を発し、中世の肖像画文化の需要、伝統、近代西洋絵画の自画像の流行など、個人主義やアイデンティティの形成・発達が関与しているのだろう。 ナルシズムとはまた違った文脈で、自己の姿を客観視してみたいという欲求が人間にはある。 最近のいわゆる「自撮りカルチャー」の背景には、僕が置きカメで女王様とのSMセッションを撮影したいと思った心理と共通するものがあるように感じる。 僕の場合、そう滅多には来られない「聖地巡礼」(大都会のSMクラブ)での、普段は実現できない祝祭(BDSMセッション)の記念にというのが、そもそもの動機だったが、深層心理的には、誰かに見てもらいたいのかも?という潜在的な無意識レベルの願望も否定出来ない。 頼みもしないのに、女王様が恥ずかしい写真を撮影してくれるのだから、いい時代になったものだ。 女王様の方から「いい写真とれたよ〜」とその場で見せてくれたりもする。  さらに、Air-Drop(Wi-Fi 環境で即座に相手のスマホに画像を送信できる機能)で共有してくれる。 マゾの惨めな姿だけでなく、自撮りを含むツーショットも。 この感覚でシェアできちゃうSMは、思えば随分とカジュアルになったわけだ。 撮影されるという密室での幸福の向こう側には、シェアされてしまうという戦慄の快楽が待っている。 もはや「秘すれば花」とは言えないのが、少し残念な気もする... (>__
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