惨めさを創出する芸術

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マゾヒズムに花束を! 13view
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     「惨めであること」は、我々の世界では、重要な価値観だと思われる。 しかし「見た目」が惨めだからといって、内心では、それほど惨めには感じていない。 マゾは見た目が9割なのである。(*女王様は見た目が1割) そんな矛盾に、今頃になって気づいたと。 マゾヒズムの複雑で豊かな感性に喜んだりしている。 惨めに感じていることが、誇らしげにも感じられるのは、マゾとしてのどうしようもない性癖の一面ではあるにせよ、嘲笑を浴びるための「世界劇場」へ、自分自身を登場させるための大きなモチベーションにはなる。 SNSなどで見かける自撮りやセルフ・フォト(あるいは置きカメによる撮影画像)は、古くは「奇譚クラブ」などへの投稿写真などとも同じように、惨めな己の姿を、やや控えめに、しかし心の奥底では誇らしげに、他者の視線に晒される喜びを味わいたいという願望の現れであった。  イイネを押させるだけの読者を得て、その得た読者を失わずにいるための秘訣は、惨めな己の姿に誠実な美を見いだすことだ。 年老いたチビのハゲオヤジが、若くて長身の輝くばかりに眩しい女性に服従している惨めな姿に、超絶の美を見いだしうる心。 その精神性は尊く、芸術作品を創りうる誠実なものだ。  その気持ちに誠実なればこそ、惨めであっても、己を哀れに感じる恍惚に喘ぐその瞬間、かすかに マゾとしての尊厳をも感じる! それを感じさせてくれるミューズが、目の前にいる女王様なのである。 インスタグラムに投稿される多くの自撮り写真には、はにかみとも自尊心とも判別不能で混沌とした「意図」が見え隠れして、正直共感できるものなのか、イイネを押すのもためらいながらも、BDSMやフェティッシュ系のビジュアルには、それを見た者を被写体の内面に引き込む強烈な磁力のようなものがある。 それはモデルが持つ、あるいは撮影者やその発信者側の意図とは別の何か、曰く得たいの知れないブラックホールのような吸引力のように感じる。 置きカメなどでのオート自撮りの場合にも、それを段取りしたセッションの参加者、多くの場合女王様と奴隷の共謀により撮影された写真や映像の中にも、あるいは画家によって描かれているイラストやコラージュであっても、そこに見える「モデル」と「作品」そのもの、そして、存在するであろう「アーティスト」。これらは、三位一体であり、多にして唯一の存在として、対照と照応の不可分な関係であるが故に、より多様で多層的に、また多次元的にそれ自体の存在の深さを示している。 この豊穣なる「自画像」とも呼べるべき「世界劇場」が、FemDom アートの舞台なのだ。  ■ 意図の誤謬   
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