人間の業 ― 綺麗事の裏側 第114話:【連載】知っておきたい認知症のコト 第14回
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2026-10-22 20:00:00
人間の業 ― 綺麗事の裏側 第114話副題:まどろみの底で —— 境界にたゆたう記憶と意識日常のふとした隙間に、さーっと薄霧が立ち込めるような感覚がある。久美(くみ)は、膝の上に置いた自分の手を見つめていた。しわが深く刻まれた皮膚、浮き出た青い筋。間違いなく自分のものであるはずの手が、時折、まるで他人の道具のように思える瞬間がある。「久美さん、お茶が入りましたよ」声のする方に視線を向けると、湯気の立つ湯呑を持った誰かが微笑んでいる。その顔も、名前も、分かっている——つもりだ。自分はここにいて、目の前の人が自分を気遣ってくれていることも理解できている——つもりだ。言葉も普通に出ているはずだし、会話も噛み合っていると自分に言い聞かせていた。——けれど、心の深いところで何かが決定的にずれ始めているのを、薄々と感じている。意識が完全にクリアで、過去の思い出も今日の予定もハッキリと頭に浮かぶ「正常」の岸辺。その一方で、自分が誰で、ここがどこなのかすら分からなくなる「混濁」の岸辺。はるか昔のことはあんなに鮮明に覚えているのに、つい先ほど起こったはずのことがどうしても思い出せない。いまの久美は、どちらの岸にも足をつけていない。二つの世界のあいだで揺れながら、深い「まどろみ」の底に身を沈めているような心地だった。◇認知症の初期、あるいはその手前にある軽度認知障害(MCI)の時期において、当事者が最も苦しむのは「自分が失われつつあること」を自分自身で鋭く察知してしまう点にあります。すべてが分からなくなってしまえば、かえって恐怖は薄れるのかもしれません。時に殺気立ち、深夜の徘徊を繰り返すようになるのも、あるいは混濁していく意識の中で、何かを必死に繋ぎ止めようとする抗いなのかもしれません。郷里(ふるさと)へ、幼かったあの頃へ帰ろうとする姿勢は、いわば彼岸(三途の川)に差し掛かった折の、最期の抗いとも言えます。科学的に検証されているわけではありませんが、介護の現場において最も恐怖や険悪感を覚え、説得も困難で単独では到底手を施せないほど過酷な局面です。それでいて、最も胸を締め付けられるのも、まさにこの段階にあると言えます。しかし、意識の半分がクリアであればあるほど、「さっきまで覚えていたはずのことが思い出せない」「当たり前にできていたことが急にできなくなる」という現実は、鋭い刃となって胸を刺します。「まだ大丈夫」と思いたい自分と、「もう戻れないのかもしれない」と怯える自分。二つの思いが交錯する境界線で、当事者は誰にも明かせない孤独な葛藤を抱えています。まどろみの底で久美が感じている不安や揺らぎ。それは特別なものではなく、誰もが直面する可能性のある「グラデーションの日常」のひとコマです。周囲にできる支援とは、無理に彼女を「こちらの岸」へ引き戻そうと正すことではなく、その不安定な揺らぎにそっと寄り添い、安心して身を委ねられる場所であり続けることなのかもしれません。>この話が気に入ったら、ランキングバナーをポチッと押していただけると励みになります。



