人間の業 ― 綺麗事の裏側 第39話:「殺処分ゼロ」という綺麗事が生む新たな地獄
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2026-08-01 20:00:00
人間の業 ― 綺麗事の裏側 第39話(前編)副題:『殺さない』という名の拷問愛媛の真夏は、容赦がなかった。連日の猛暑日。気温は三十五度を超え、アスファルトは湯気を立て、木陰さえも熱を溜め込んでいた。テレビのニュースは、いつものように「熱中症に注意を」と繰り返す。汗をかいて体温調整ができる人間ですら、倒れる者が続出するこの季節に——。画面は、ある動物愛護施設の屋外ケージを映し出していた。金網の向こうで、犬たちが鳴いていた。「日陰」と称される屋根の下。しかし熱気は容赦なく流れ込み、コンクリートの床は熱を吸い、空気は淀んでいた。舌を大きく出し、荒い息を繰り返す犬たち。目は恐怖に見開き、体は震え、時折、切羽詰まった甲高い声を上げる。「収容能力の限界です」施設の担当者は、カメラの前でそう訴えた。その声には途方もない疲弊が滲んでいた。「殺処分ゼロ」を掲げてから、持ち込まれる犬の数が減らない。いや、むしろ増えたのだ。「もう飼えない」「引っ越しで」「高齢で」「子供がアレルギーで」——理由は様々だ。ペットショップで衝動買いした犬を、飽きて、あるいは都合が悪くなって施設に運び込む人々。「殺処分ゼロ」という綺麗な言葉が、彼らの心に奇妙な安心感を与えていた。「ここに預けりゃ、殺されへんやろ」そんな都合のいい甘えが、静かに、確実に広がっていた。不必要になったら施設に持ち込めばいいと考え、買っては放置し、捨てることを繰り返す。中途半端な偽善が、「殺さないなら大丈夫」と知恵の働かない者たちの背中を押し、我も我もと真似をさせる。そこいらの構造に、なぜ気づかないのだろうか。犬は、人間のように全身で汗をかけない。肉球のわずかな汗と、パンティング(激しい呼吸)でしか体温を下げられないのだ。炎天下のケージで、その限界はすぐに訪れる。熱中症で倒れる犬。脱水でぐったりする犬。恐怖で噛みつき、ストレスで自傷する犬。収容しきれず屋外に並べられた檻の中で、彼らはただ、じっと苦痛に耐えていた。ニュースは「愛護の成果」を強調しつつ、収容の逼迫を報じる。殺処分をゼロにした誇り。譲渡を進める努力。ボランティアの献身。どれも「正しい」話だ。しかし画面の奥で鳴き続ける犬たちの声は、その正しさの裏側を、容赦なく暴いていた。「殺さない」という美名が、責任の放棄を正当化する。「施設があるから大丈夫」という無責任が、飼育放棄を量産する。買って、遊んで、飽きて、捨てる。その悪循環が施設を溢れさせ、犬たちを炎天下の檻に押し込める。結果としてそこにあるのは、殺処分よりも遅く、より長い苦しみだ。人間は、どこまでも綺麗事を好む。「命を大切に」と叫びながら、命の重さを測るのはいつも自分の都合だ。「ゼロ」という数字に酔い、現場の悲鳴を「一時的な課題」と片付ける。知恵の足りない者たちは、その数字を見て安心し、さらに犬を買い、さらに捨てる。画面の犬たちは、今日も鳴いていた。熱さと恐怖で。人間の業の、最も卑しい部分を映し出して。見るに見かねて、チャンネルを変えた。それでも、あの切迫した鳴き声だけは耳から離れなかった。綺麗事の裏側で、犬たちは今日も、人間の都合に晒されている。——人間の業は、いつも、こうして続く。(第39話 後編に続く)人間の業 ― 綺麗事の裏側 第39話(前編)副題:ガス室の前で狂う命チャンネルを消しても、頭から離れない光景があった。知人のボランティアが以前、漏らしていた言葉が蘇る。「外の檻なんて、まだマシなんですよ」屋内には、かつて「業務」をこなしていた施設の名残——鉄の扉で閉ざされたガス室がいまだに残されているという。「殺処分ゼロ」を掲げ、稼働を止めたはずのその部屋。しかし、行き場を失い溢れかえった犬たちが押し込まれたのは、まさにそのガス室へと続く薄暗い通路だった。かつて数多の命が消えていった場所。壁にしみついた死の匂いか、あるいは先に行った仲間の絶望か。目に見えない何かが、その狭い通路を満たしている。ステンレスの籠に入れられた犬たちは、狂ったように檻の中で旋回していた。自分の尾を追いかけ、壁に体を打ちつけ、爪が割れて血が滲んでもなお、ぐるぐると回り続ける。激しいパンティングで泡を吹き、喉を潰して叫ぶ犬。あるいは、全てを諦めたように暗がりで丸まり、ただ瞳だけを激しく揺らす犬。そこは「保護施設」という名の、終わりのない監禁部屋だった。かつては、ボタン一つで数分で終わっていた死。いま、彼らに与えられているのは、「殺されない」という名目のもとで引き延ばされた、永遠のような精神の解体だ。「殺さないでくれてありがとう」と、元飼い主たちは満足そうに家に帰っていく。自分が手放した命が、冷たいコンクリートの通路で狂気と闘っていることも知らずに。彼らの頭の中では、「施設で優しいボランティアに愛されている犬」の物語が都合よく再生されているのだ。施設職員の苦悩もまた、底がない。「殺処分ゼロ」の数字を守るため、職員たちはキャパシティをはるかに超えたお世話に追われる。排せつ物の処理だけで日は暮れ、一頭一頭と向き合う時間など皆無。「殺すのが悪で、生かすのが善なら……この子たちの叫びは何なんですか」疲れ果てた職員の呟きが、冷たい壁に虚しく響く。殺処分という「汚い仕事」を隠蔽し、見えなくしたことで、人間は「自分たちは命を大切にする優しい社会に生きている」という妄想を手に入れた。しかし、その実態は「苦痛の先送り」に過ぎない。即座の死よりも残酷な、狂気と恐怖の拷問。それを強いているのは、愛護を叫ぶ人々でも、施設でもない。「殺さないこと」だけに満足し、蛇口を閉めずに溢れ出る水を手で受け止めようとする、人間の浅はかな欺瞞(ぎまん)だ。窓の外では、今日も炎天下のアスファルトが白く霞んでいた。どこかのペットショップで、小さな仔犬が「かわいい」と持て囃され、連れて帰られているだろう。数か月後、数年後、その命がどこへ行き着くのか、誰も考えようとはしない。ガス室の前の通路で、今日も犬が狂い回っている。人間の「綺麗事」という免罪符を背負わされて。人間の業は、どこまでも深く、そしてどこまでも愚かだ。(第39話 完)>※完全オリジナル作品です。二次創作ではありません。#人間の業 #歴史の循環 #心理小説 #綺麗事の裏側この話が気に入ったら、ランキングバナーをポチッと押していただけると励みになります。
