撮影あるなしで、体験の濃度は変わるのか?

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     YouTubeで最近みた動画です。 写真を撮っている時、その時の体験は損なわれてしまうのか?という、僕も昔から関心を持っていたテーマで語られています。このトピックはカジュアルに日常話題になることはあっても、学術的でまともな言及というのには、あまりお目にかかったことがなかったので、とても興味深く拝見しました。 これは昨年。 YouTube動画も、「設定」ボタンをカスタマイズすれば、日本語字幕で見ることができます。 何故このテーマで興味をひかれるのかというと、SMプレイを自撮りしている時、「イマここ」感が損なわれるような気がして、もったいないかなあと常々感じていたからです。 自撮りしている時もそうですが、置きカメでセッション光景を撮りっぱなしにしている時など、 せっかくいい感じになっている時に、「今のシーン、上手く撮れてるかな・・・?」などと、気が紛れてしまうこともあります。 前回の時のように、撮影していることもぶっ飛んでしまうくらい我を忘れてしまう時もあり、それが理想でしょう。 カメラを意識すると、演技はしないまでも、どこかよそよそしいとでもいうか、本来の自分ではなくなるような気がします。 (まぁ、何が「本来の自分」なのかが問題でもあるのですが・・・) これが他者を客観的に撮影するとなるとまたハナシは別です。 この画像は「顔面騎乗に花束を!」撮影現場ですが、自分の理想の顔面騎乗を見たいがために企画したようなシーンでして、生尻・ナマ顔面騎乗でM男が強制的にご奉仕をさせられるという演出場面です。 しかし、実際のプレイ自体はキャスト任せで、舌がもっと伸びるところがよく見えるように撮りたいけれど、ナカナカそう上手い具合には撮影できません。どうしてよいのかわからず、困ってしまいました。 もっと厳密に撮影プランを練って、キャストともトコトン打ち合わせすべきだったことを反省しています。 ただ、「奉仕」として、どこまでを見せるかというとこまでは、みづきさんにハッキリと確認できなかったのです。 「春川さんのイラストのように、M男の舌がはっきりと見えるように撮りたい!」とまでは言えなかった。 キャストの二人は、普段は濃厚なプレイをされていることはわかっていたけれど、僕も恥ずかしがり屋さんの甘チャン野郎だったので、あまり深掘りできなかった部分です。 もっと貪欲に、自分自身のドロドロした、ギラツいた願望にまで踏み込んで、細かいとこまで詰めておけなかった甘さが、素人監督の僕にはあった。 北川プロも、プロの集団というよりは、アマチェアの達人の寄せ集め的な雰囲気もあり、事前の打ち合わせでは鋭いツッコミもなく、無粋でやかましいことはあまり言わずに、お二人に自由におまかせしようというところで、おさめたのでした。 北川繚子さんとの会話で、北川プロの撮影現場の雰囲気がわかる記事を10年以上前にエントリーしましたが、ここでの話は実際のダイアローグで、ほぼ全て真実です。 だから、僕の作品でも、成り行き任せの部分があっても、それはそれで、よかったのだと思っています。 ただ、作品的にはもっと深く、あるいは高いレベルに持って行けたのかもしれない・・・ かっこつけて言えば、そういう余白を残しておいたと、今では思うんです。 けして妥協したわけでもなく、僕なりにベストを尽くした。 後は、観る人がご判断、ご評価されればよろしいかと。 駄作だ!と一喝する人もいらっしゃるかと存じますが(今のところ言われたことないですが)このシーンだけで判断されて頂きたくはないのが正直な気持ち・・・・ ただ、その後、自分のプレイを置きカメで撮影する時は、演技でなく、女王様に「ヤラセ」をして頂くのでもなく、なるべく自然に、後で二人で観て、「お互いが楽しめるような映像にしようね!」ってことでお願いしています。 そういう距離感、雰囲気が、充実したセッションにつながり、よい作品になる。 本来、SMのセッションは、人に見せるためにするものでもないですし(その目的のための場合もありますけれど)、基本的には「秘すれば花」という面が大きいと思うのです。そこを少しだけ、垣間みることができるような映像になれば、粋ではないかなと思っています。 
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