記憶は持続可能なデータになり得るか?

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     自分の脳内にある記憶容量は、何ギガ・バイト(あるいはテラ)ぐらいあるんだろう? だけど、天然知能で検索しても、そう手軽にアクセスできないんじゃないかな。 僕が中学一年生だったある夏の日、放課後の掃除をサボって友だちと体育館の壁にもたれて、ダベッてたりしていた時のこと。当時はまだ部活動を何もしていなかったけど、そこで女子バレーボール部の同級生が練習していました。白く輝く太ももに、僕も友人も眼が釘づけになっていました。小学生の時から、スカートめくりなどして遊んでましたから(昭和だなあ〜)、太もも自体は初めてみたわけではないですが、このようなシチュエーションは初体験。堂々と見ているのに、太ももの部分だけを、なんだかのぞき見しているような「やましさ」を感じつつ、得体のしれない興奮を感じていました。この時の思い出が、忘れられない。 女の子の脚って、こんなにキレイだったんだ・・・  おそらくまだ、自慰も夢精も未体験だったと思います。  鮮烈でしたが、儚い思い出として、心の印画紙に焼き付いているイメージ。 将来、いやらしいオジさんになる自分が、まだウブな少年だった時代の、美しい記憶に、今でも時々心の中で、ひとりぼっちの「いいね」をつぶやいているのです。 半世紀も過ぎ去った昔の光景なのに、眩しいばかりに鮮やかに輝いているなんて、自分でも感激してしまいます。 テラバイトを超える膨大なメモリーが消滅していく一方で、残る思い出が、ある。 人は誰でも、そういう思い出を大切にして生きているんじゃないかという気がします。 命だけは、持続可能には今のところならないけれど、思い出は、例えばこうしてブログに書いたりすることによって、永遠にとは言わないまでも、書いた本人が死んだ後でも、少しは誰かに共有されて生き残ったりして。  どうでもいいか、そんなコト。 【どうでもいい過去記事】 映画「ブレードランナー」で、デッカードがレプリカントの女に太ももで顔をはさまれるシーンが好きだ、というハナシ
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