人間の業 ― 綺麗事の裏側 第79話:地は出づる
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2026-09-15 20:00:00
人間の業 ― 綺麗事の裏側 第79話副題:敗戦国にあらず一九四五年の秋、ドレスデン近郊の小さな町で、まだ十歳だったクラウスは、焼け残った石造りの家の地下室で父の古い地図を見つめていた。地図には戦前の国境が残っていた。父はすでに東部戦線で行方不明だった。占領軍の将校が学校に来て、黒板に新しい言葉を書いた。「民主主義」「人権」「過去の清算」。クラウスはそれを素直に繰り返した。教師も、近所の大人たちも、皆が同じように繰り返した。戦勝国が持ってきた新しい色で、古い壁を塗り替える作業が始まった。クラウスは優秀だった。西ドイツで育ち、大学で歴史を学び、やがてボン、そしてベルリンの大学で教鞭を執った。彼は「新しいドイツ」を信じていた。経済は奇跡のように回復し、欧州の中心になった。敗戦国という言葉は、もはや似合わなくなった。アウトバーンを走り、工場の煙突が立ち並ぶ風景を見るたび、彼は「これで十分だ。過去は過去だ」と思った。しかし、地は静かに、しかし確実に顔を出した。移民が増え、都市の一部でドイツ語が聞かれなくなり、祭りの風景が変わり、若い世代の一部が「ドイツ人であることに罪悪感を持つべきだ」と教えられるようになったとき、クラウスは最初、それを「進歩」と呼んだ。長く培われた秩序や、共同体の感覚、言葉のリズム、季節の行事の意味——それらは「古い」とされ、新しい潔癖な思想が上から被せられた。人口が少なかった遠い昔なら、支配者の意志で民族の記憶をある程度書き換えられたかもしれない。しかし八千万人を超える規模の国で、数十年かけて染み込んだものは、そう簡単には消えない。二〇二六年九月、ザクセン=アンハルト州の選挙結果が発表された夜、クラウスは書斎でテレビを見ていた。AfDが四割を超えた。戦後初めて、極右と分類される政党が州レベルで政権に近づいた。ベルリンでは抗議デモが起き、「ファシズムは選択肢ではない」と叫ばれていた。クラウスは窓の外の暗い空を見た。彼の教え子たちの多くは、この結果を「危険」と呼んだ。彼自身も、若い頃なら同じように言っただろう。だが彼は、祖父が戦後すぐに呟いた言葉を思い出していた。「塗った色は、いつか剥がれる」。祖父は決してナチスを美化したわけではなかった。ただ、土地と血と、長い時間をかけて形作られた考え方は、外から来た色では覆い隠せないと、静かに信じていた。同じ頃、日本では別の小さな出来事が起きていた。元アイドルの女性が、高級ホテルの大浴場の脱衣所で動画を撮り、公開した。ホテル側は「館内撮影は許可したが、脱衣所までは許容していない」と否定した。ネットは「非常識」「プライバシー」「マナー」と沸騰した。彼女は特別な許可を得たと主張したが、長く続いてきた「公衆の場での作法」という感覚は、簡単には書き換えられなかった。セレブの生活や国際的な子育てを自慢げに語った発言も、同じように反発を呼んだ。潔癖で正しいとされる新しい価値観を上から被せても、あるいは古い作法を無視しても、反発する人は増える。思い通りにはならない。クラウスは日記に書いた。「戦勝国は思想を塗り替えたつもりだった。ドイツは豊かになり、もはや敗戦国ではなかった。すると、地が顔を出した。長い時間をかけて培われたものは、人口が多く、情報が行き交う今の時代、なおさら簡単には消えない。上から被せた色がどれほど鮮やかでも、下にある土の色は、いつか滲み出てくる。それは良いことでも悪いことでもなく、ただ、そうなるものだ。思い通りになど、ならない」2023年10月7日、ハマス主導の攻撃で、イスラエル側は民間人を含む約1,200人の命が奪われ、約251人が拉 致された。イスラエルはこの攻撃を戦争の起点とし、ガザへの大規模作戦を開始しました。ガザ保健省の集計(国連機関もおおむね信頼できると扱ってきた数字)では、2023年10月以降の死者は約7.3万〜8万人規模、負傷者は17万人超です。保健省は戦闘員と民間人を区別しません。独立推計では、死者の半数超が女性・子ども・高齢者だったとする研究もあります。イスラエル軍は保健省数字を「大枠では正確」と認める方向に転じた、と報じられています。建物の大半が損壊し、人口約210万人のほとんどが避難を繰り返しています。病院・リハビリ施設は機能不全が続き、重傷者は数万人規模です。2025年10月10日前後に米国仲介の停戦が発効し、残っていた人質の返還(遺体を含む)が進みました。しかし2026年9月時点でも、本格的な復興もイスラエル軍の全面撤退も進んでいません。ガザの相当部分はイスラエル軍の実効支配下にあります。停戦後もイスラエルの空爆・銃撃は続き、ガザ保健省は停戦以降の死者を1,300人超、ユニセフ等は子どもだけで300人前後と報告しています。イスラエル側は「ハマス戦闘員を狙っている」「停戦違反への対応」と主張し、停戦後に自軍兵士も数人死亡したとしています。実態は「名目上の停戦、現場では限定戦争」に近い、というのが国連や監視団体の見方です。支援物資の制限、帰還制限、医療器材の搬入制限も続いており、国連安保理では「破綻寸前」「停戦と呼べるか疑わしい」との発言が繰り返されています。現状を見る限り、ガザ住民の被害は甚大で、西岸の占領・入植も悪化しています。それは厳しく記録し、批判すべき事実であり、贅を尽くすためにはどのようなことでもやり得る民族です。このふたつの国について、あなたはどうお考えですか?相次ぐ戦争で疲弊したこの時代にあって、ゲルマンが特別現イスラエル国民をどうのと考えてはいなかったであろうが、借財を背負わされた周辺の国民はそうは思わなかったのではないでしょうか。「……少しことさめて、この木なからましかばと覚えしか。」勤勉なドイツ人は、我々の力を結集したならば…今更悔いてもしようがないとはいえ、その時点ではそう思い込んでしまったのではないでしょうか。彼はペンを置いた。窓の外で、秋の風が古い石畳を鳴らしていた。新しい色はまだ残っている。しかし地は、もう隠れていなかった。>この話が気に入ったら、ランキングバナーをポチッと押していただけると励みになります。



