人間の業 ― 綺麗事の裏側 第69話:泥を食む契約
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2026-09-04 20:00:00
人間の業 ― 綺麗事の裏側 第69話(前編)副題:「業を共有できる相手を選べ」これから先、一緒に暮らしていける人をどのような基準で選べばよいか。綺麗事を並べれば、「価値観が合う」「互いに尊重し合える」「愛情がある」といった言葉がすぐ出てくる。だが、実際に屋根を一つにして何十年も過ごすとなると、そうした言葉はすぐに色褪せる。残るのは、朝起きてから夜眠るまでの、地味で執拗な日常だ。食事を作り、稼ぎ、病気をし、親の介護をし、子供がいればその世話をし、文句を言い合うか、黙って耐えるか。そこまで見据えたとき、相手に求めるべきは「理想の伴侶」ではない。生存に耐える身体と、生存のために手を汚すことを厭わない業である。日本人の若者の感覚は、すでに何度か述べてきた。不満を口にすることを権利と心得、不便を「改善されるべきもの」と信じ、相手の稼ぎや家事分担を数値で測りたがる。それは豊かな社会が生んだ感覚であって、悪いとは言わない。ただ、一緒に暮らす相手としては、脆い。少し物価が上がり、少し体調を崩し、少し将来が見えなくなっただけで、関係は軋み始める。では近隣はどうか。ベトナムの女、Ly Kimの例を再び出す。市場から単車で帰る途中、突然路肩に車体を止め、繁みの奥へ消えた。そこはバナナ園だった。市場に並ぶ商品とは比較にならないほど房が重く、実が太い。彼女は持参した鉈で次々と幹を倒し、実を切り落とし、単車の荷台に積んで市場へ引き返した。ベトナムの個人所有地は狭い。単車でふらりと立ち寄れる距離の園が、彼女個人のものだとは思えない。集団で管理されている農園か、誰かの契約地だろう。収穫した実の収益は、持ち主の手元には届かない。彼女の懐に入る。日本人の感覚からすれば、これは窃盗だ。綺麗事を言えば「許されない行為」である。だが彼女の動作に迷いはなかった。鉈の振り方も、積む手順も、慣れた手つきだった。勤勉に見えたのは、行動に迷いが無かったからだ。そう、その勤勉は、所有権だの社会主義だなどという抽象的な概念より、今夜の飯と明日のガソリン代に向いていた。業である。綺麗事の裏側にある、生きるための業。別の動画、「郵便配達」の女も同じ系統に属する。日本人から見ればとんでもなく不便な場所に住む人たちのために、雨の日も照り付ける日も山道に向かって足を飛ばし、荷物を届ける。文を待ち望んでいた女も、文句はほとんど口にしない。ベトナムの女は、総じてよく働く。不平を言わないのではない。言っても状況が変わらないことを、身体が知っているのだ。ここまで書けば、結論はすでに見えている。暮らしやすいのは、日本の若い世代より、隣国の民のほうである。うまく取り入り、国家間の諸問題――査証、国籍、送金、親族の出入り――をずるく立ち回れば、日本の相手とは比較にならないほど忍耐強く、支えてくれる可能性が高い。裏技は、恋愛感情から始めないことだ。ある男がいたとする。日本で何度か相手を変え、そのたびに「価値観が違う」「将来設計が見えない」と別れを重ねた男だ。彼は綺麗事を捨てた。結婚相談所の国際部門に登録し、写真と年収と「安定した生活を提供できる」という一文だけを先に送った。相手は地方出身の女で、家族を養うために都会へ出ていた。顔立ちは可もなく不可もなく、日本語は片言、学歴も高くない。男が現地へ赴いたとき、女は市場の帰り道に単車を止め、路傍の木になった果実をいくつかもぎ取って荷台に載せた。男は見た。言わなかった。それが最初の裏技である。見なかったことにするのではない。見たうえで、それが生存の技術だと判断する。所有の観念が緩い土地の人間と暮らすなら、こちらの「正しさ」を押し付けるのは愚かなのだ。代わりに、男は女の親族への仕送りを定期的に行い、査証更新の書類を先回りして整え、日本に呼んだあとも「母国の習慣」として小さな抜け道を残した。女は文句を言わなかった。朝早く起き、弁当を作り、夜遅くまでの残業を黙って待った。子供が熱を出せば、自分の睡眠を削って看病した。男が体調を崩した年、女は昼間の仕事を増やし、足りない分を単車で配達の手伝いをして補った。綺麗事で言えば、これは「愛情に基づく国際結婚」ではない。経済格差と生存本能を組み合わせた、極めて実務的な契約に近い。だが十年二十年と暮らしたあとで残るのは、綺麗事のほうではない。残るのは、雨の日に単車のエンジンをかけて出ていく後ろ姿と、黙って食卓に並ぶ飯である。基準は単純だ。相手が不便に耐えるかどうか。相手が自分の懐を守るために手を汚せるかどうか。相手が国家や制度の隙間を、こちらと一緒にずるく渡れるかどうか。理想の相手を探すな。業を共有できる相手を選べ。綺麗事は、選んだあとに、必要なら少しだけ添えれば足りる。人間の業 ― 綺麗事の裏側 第69話(後編)副題:泥の上の生活雨が打ちつける深夜の国道沿いで、古びた軽トラの助手席に座る男――達也は、隣でハンドルを握る女、ミンの横顔を見ていた。ワイパーが追いつかないほどの豪雨の中、ミンは一度も舌打ちをしなかった。「最悪」「ツイてない」といった言葉は、彼女の辞書には最初から存在しないかのようだった。ただ静かに、前方の濁った視界を見据え、エンジンが吐き出す鈍い振動に身体を預けている。荷台に積んであるのは、知り合いの農家から「処分に困っている」と頼まれ、タダ同然で引き取ってきた大量の規格外野菜と、どこから調達してきたのかも分からない中古の資材だ。夜が明ければ、ミンはこれを自分のネットワークで捌き、現金に変える。それが合法と違法の境界線のどこに位置するのか、達也はあえて尋ねない。尋ねる意味がないからだ。「達也、次の信号、右」日本語は拙い。だが、その声には一切の迷いがなかった。かつて達也が付き合っていた日本人の女性たちは、もっと言葉が豊かだった。「どうして私ばかり家事をしなきゃいけないの?」「将来のキャリア設計はどう考えてるの?」「たまにはロマンチックな場所に連れて行ってよ」彼女たちの主張はどれも正論で、正しく、そして恐ろしいほど脆かった。ちょっとした物価高や、達也の会社の減給、将来への漠然とした不安が降りかかるたびに、彼女たちは「価値観の不一致」という綺麗な言葉で関係を切り刻んだ。彼女たちが求めていたのは「富裕」であり「理想の伴侶」である。共に泥をすするパートナーではなかったのだ。達也は疲れ果て、綺麗事をすべてドブに捨てた。国際結婚の手続きを経てやってきたミンは、愛を語らなかった。希望も語らなかった。代わりに彼女が持ち込んだのは、生存のための執拗なタフネスだった。日本の「正しさ」や「ルール」を押し付けようとすれば、この関係はすぐに破綻する。ミンが街角でちょっとした抜け道を使ったり、制度の隙間をすり抜けて親族に送金したりするとき、達也はそれを咎めない。見ないフリをするのではない。「生きるための業」として了解するのだ。その代わり、達也は彼女の法的手続きを完璧に整え、査証の更新を先回りして終わらせ、彼女の「業」が社会的に破滅しないよう影で泥をかぶる。それが、達也の側の「業」だった。二人を繋いでいるのは、甘い恋愛感情ではない。不便を「改善されるべき不当な扱い」と騒がず、ただ耐える強さ。家族の食い扶持を守るためなら、綺麗事に背を向けて手を汚す覚悟。そして、この息苦しい社会の隙間を、二人でズルく、しぶとく生き延びていくという無言の契約。軽トラが目的地に着く。雨はまだ降り続いている。ミンは着の身着のままで荷台へ回り、重いコンテナを黙々と降ろし始めた。達也もカッパのフードをかぶり、その隣に並んでコンテナを抱え上げる。濡れたアスファルトの匂いと、泥の匂い。言葉はない。だが、そこには何十年経っても色褪せない、圧倒的な生存のリアリティがあった。理想の相手を探す必要などない。綺麗な言葉で飾られた約束など、嵐が来れば吹き飛ぶ。これから先、誰かと生きていくのなら選ぶべきはただ一人――同じ泥に足を突っ込み、同じ重さの業を背負って、黙って雨の中を歩ける人間だ。(69話 完)>※完全オリジナル作品です。二次創作ではありません。#人間の業 #歴史の循環 #心理小説 #綺麗事の裏側この話が気に入ったら、ランキングバナーをポチッと押していただけると励みになります。
