人間の業 ― 綺麗事の裏側 第54話:加速する現代特有の消費構造
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2026-08-19 20:00:00
人間の業 ― 綺麗事の裏側 第54話(前編)副題:ラブホテルの経営理念雨脚は強まっていた。「KIMINO HOTEL」の駐車場には、水滴を弾く高級外車から、汚れの目立つ軽自動車までが整然と並んでいる。ナンバープレートを隠すプレートが、整然と取り付けられていた。富田社長は手元のタブレット操作を止め、窓の外を眺めながら静かに切り出した。「うちを利用する客の属性ですか? 表向きは『カップル』ですがね。実際の稼働を支えているのは、法的に結ばれたパートナー『以外』の相手と過ごす人々ですよ」社長が指し示したモニターには、リアルタイムの客室稼働データが映し出されていた。「婚姻制度というものは面白い。法で縛り、浮気を不貞行為と定義して貞操義務を課す。しかし、人間の欲望や不満は法で制御できるほど甘くはない。むしろ法的な制約や世間の目が厳しくなればなるほど、人は『絶対にバレない場所』を求めて金を払う。つまり、綺麗な道徳や制度が強固であればあるほど、裏にある私たちのビジネスの価値が跳ね上がるわけです」「自宅を追われた夫」と「デリを利用する妻」「『自宅で拒否られた夫』の駆け込み寺、なんてレベルの話じゃありませんよ」富田社長は苦笑を交えて続けた。「確かに、夫婦関係が冷え切って家庭内に居場所を失い、デリヘルを呼ぶ男性客は依然として多い。だが最近の顕著な傾向は、既婚女性――つまり『妻』側の利用が急増していることです。SNSやマッチングアプリの普及で、既婚女性が個人で相手を探す、あるいはデリヘルならぬ男性派遣型サービスを利用してここを訪れるケースが、この数年で格段に増えました」かつては男性主導と考えられていた不貞や風俗利用の構図が、男女対等、あるいは「追いつけ追い越せ」の勢いで女性主導の形に変化している。世間では政治家がメロンを贈った・贈らないと騒ぎ立て、表面上の清潔感や倫理観を競い合っている。だが、その裏側で蠢くリアルな人間模様は、法律や規範が定義する「潔癖な家庭像」とは程遠い。かつて大女優が「契約に縛られ」と嘆いた。しかし今や、自ら進んで大女優がされてきたことをステージの脇やラブホでやろうとする。「婚姻関係を法で維持する意味が本当にあるのか、とおっしゃいましたね」社長は冷めた紅茶のカップを置き、私の目をまっすぐに見つめた。「法的な婚姻制度があるからこそ、人は『いけないこと』にスリルを感じ、隠れ家を買い求める。制度をなくして全てを自由恋愛にすれば、ラブホテルの需要は半減するかもしれませんよ。人間の『業』と『罪悪感』こそが、利回り15〜20%という数字を叩き出す最強のガソリンなんです」1.4兆円市場と補完し合う「沈黙の空間」警察庁のデータが示す通り、無店舗型風俗(デリヘル等)の届出数は約2万2761件(令和6年末)と緩やかに増加し、市場規模は1兆4000億円に達している。店舗型風俗が規制や維持費の重さに苦しむ中、スマホ一つで手軽に呼び出せるデリヘルは、現代の隠れ家需要と完全に合致した。そしてそのデリヘルが派遣先として最も依存しているのが、プライバシーが徹底的に守られたラブホテルだ。マンションやアパートの賃貸経営であれば、家賃滞納リスクや空室リスクに怯え、表面利回り数パーセントに一喜一憂することになる。しかし、ラブホテル経営は風営法という強力な参入障壁に守られ、高回転・現金決済・高粗利というビジネスモデルを確立している。「デリヘルとラブホテルは、互いの需要を補い合うエコシステム(生態系)ですよ。デリヘルの流行はそのままうちの稼働率に直結する。どちらも『世間の目から隠れたい』という強い動機によって支えられている点では同じです」結論:消えない業と、回り続けるメーター取材を終え、フロントをあとにした。相変わらず「全室満室」を示す赤ランプが、雨の日の暗がりの中で怪しく明滅している。婚姻制度や道徳といった「表の綺麗事」がどれほど叫ばれようとも、人間の欲望、寂しさ、そして不貞への渇望が消えることはない。それどころか、表の規律が厳しくなればなるほど、裏の需要は陰湿に、そして確実に膨れ上がっていく。「めちゃくちゃ儲かる」「不動産投資の倍の利回り」という言葉の裏にあったのは、単なる経営の妙だけではない。法と道徳が作り出した歪みから莫大な利益を回収する、人間の「業」そのものを精緻に計算し尽くしたビジネスの冷徹な現実だった。雨の中、一台の乗用車が滑り込むように駐車場へと入ってきた。ナンバーを隠すプレートが素早くセットされ、パネルのランプがまた一つ、赤く点灯した。法律がどれほど潔癖を求めようとも、この街の回転灯が消える日は来ない。 (54話 後編に続く)人間の業 ― 綺麗事の裏側 第54話(後編)副題:表の規範と愛するヒトの欲望の非対称性西麻布の静かなビストロで、カウンター越しに渡されたワイングラスの脚は、うそみたいに細かった。「来月の三連休、金沢行かない? ひがし茶屋街の近くに、1日2組限定の古い町家を改装した宿を見つけたの」綾乃がスマホの画面を向けてくる。画面に映し出された1泊の宿泊料金は、僕の月給の3分1に相当した。僕――和真の口の奥で、乾いた唾液が落ちる。「いいね。仕事の調整、見てみるよ」曖昧に微笑んで、僕は重厚な肉料理にナイフを入れた。会計の段になり、テーブルに置かれた黒い革のレシートケースに、僕は迷わず黒いクレジットカードを滑り込ませる。実際には上限額を気にする日々が続いているが、綾乃の前でその素振りを見せるわけにはいかない。僕たちが付き合って2年。現代の恋愛において、愛の深さは目に見えないが、「演出された豊かさ」はどこまでも視覚化される。InstagramやTikTokのタイムラインを流れる無数の「理想のカップル」たち。洗練されたレストラン、海外リゾートのプライベートビーチ、誕生日に贈られるハイブランドの箱。知名度と金――それが、現代の恋人たち、とりわけ女性にとって「酸素」だ。綾乃はフォロワーが10万人を超えるマイクロインフルエンサー。彼女と歩く街は、常にカメラのレンズ越しに切り取られる。僕という存在は、彼女の洗練された生活スタイルを完成させるための、いわば見栄えの良い「背景」でもあった。僕が彼女の機嫌を損ねないために必要なのは、優しさでも誠実さでもなかった。彼女が求める生活水準に見合う「知名度(社会的地位)」と、それを維持するための「金」だった。大手広告代理店勤務という肩書きと、無理をしてでも維持する生活水準。それだけが、僕に彼女の隣にいることを許していた、唯一の条件だった。愛している、と思う。だがその愛は、どこか精巧に作られたプラスチックのフィギュアを愛でるような、冷ややかな手触りを伴っていた。三年後、僕たちは結婚した。西麻布のビストロの輝きは、目黒区の静かな中古マンションのリビングへと移り変わっていた。式は表参道の高級ゲストハウスで行い、SNSには何千もの「いいね!」が溢れた。婚姻届を提出した日の投稿は、僕たちの人生のピークだったかもしれない。だが、生活が始まると、「酸素」の質が一変した。「ねえ、この洗剤、匂いが安っぽくない? 前のに戻してよ」「あれ、一パック千円するんだよ。今月、マンションの更新料もあるし、少し切り詰めないと」朝の食卓で、綾乃が眉をひそめる。かつて華やかだった、僕が買い与えた彼女の私服は、今や部屋着のスウェットにしかならず、なのに僕のスーツの袖口は少し擦り減っていた。恋人同士だった頃、お金は「非日常の演出」に使われていた。しかし、夫婦生活において、お金はただの「生命維持装置」であり、「現実そのもの」だった。知名度というメッキも、生活の摩耗には耐えられなかった。どれだけSNSで「理想の夫婦」を演じようと、カメラが回っていないリビングには、支払わなければならない請求書と、疲弊した二人の沈黙だけが残る。「最近、投稿の反応落ちてきたな……」夜、ベッドの中で綾乃が呟く。彼女は暗闇の中でスマホの画面を見つめていた。ブルーライトに照らされた彼女の顔は、かつて僕を魅了した美しさだけは保っていたが、その瞳にはどこか飢えたような光が宿り始めていた。「そろそろ、子どもとか妊娠報告のコンテンツが必要なのかな。みんなそれやってバズってるし」「……コンテンツ?」僕は言葉を失った。夫婦の営みも、家族の未来も、彼女にとっては「知名度を維持するための燃料」に過ぎないのだろうか。「お金がないと、結局は惨めになるの。どんなに好きでも、どんなに優しくても、お金がなければ幸せにはなれない」綾乃はスマホを置き、背中を向けて言った。その声は冷たく、わずかに震えていた。「知名度があれば、仕事ももらえる。案件も来る。お金が入れば、綺麗でいられる。綺麗でいられれば、あなたも私を嫌いにならないでしょ? 全部つながってるのよ」彼女の理屈は、残酷なほど正しかった。現代において、金がない夫婦の愛は、摩擦に耐えかねて擦り切れていく。知名度という社会的な承認がない生活は、どこか透明人間になったような恐怖を伴う。僕たちは、愛という曖昧な感情を守るために、必死で金と知名度という固形物をかき集めていたのだ。だが、かき集めれば集めるほど、手のひらから本当の温もりがこぼれ落ちていく。不意に、西麻布のビストロで飲んだ、あの足の細いグラスを思い出した。綺麗で、洗練されていて、だけど少しでも力を込めれば、パチンと簡単に割れてしまいそうだったあのグラス。僕たちの夫婦生活は、まさにあのグラスの上に成り立っている。「明日、新しいルンバ届くから」僕は背を向けた妻の肩に手を置こうとして、途中で止めた。「……うん。いくらしたの?」「最新型だから、15万」沈黙が落ちる。僕たちは、金で買った快適さの中に身を置きながら、どこまでも貧しかった。窓の外では、東京の夜景が際限なく光を放っている。その数知れない明かりのすべてに、金と知名度の呪縛に囚われながら、互いを確かめ合おうとする恋人や夫妻たちが蠢いているのだろうか。僕は目を閉じ、暗闇の中で、二度と戻らない「非日常」の味を反芻した。現代の「愛」や「家族」のあり方について、どのようにお考えですか?(54話 了)>※完全オリジナル作品です。二次創作ではありません。#人間の業 #歴史の循環 #心理小説 #綺麗事の裏側この話が気に入ったら、ランキングバナーをいただけると励みになります。
