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人妻・熟女の不倫実話と創作官能小説専門ブログ 元ヤン知佳の美貌録 2view
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     城安寺に墓参した折、佐吉こと新宮又兵衛は城兵に帰参したこと、あるいは墓参に訪れたとこなどのことわりをしなかった。 大事にされそうな新宮党の一翼を担う代々の墓もそうなら、新宮家も住むものがいなくなったからか、庭は雑草が伸び放題に伸び、室内はところどころ雨漏りがし、門の外から覗っただけでも見た目に荒れるに任せてある風であったからだ。「 ―― 静香……どこぞのものが庇ってくれてるといいのだが……」心の奥底でわかってはいた。 素っ破(すっぱ)だの乱っ破(らっぱ)だのと名乗って小早川方に着いた。 までは良かったが、相手は一枚も二枚も上、攻防に有利な情報など得られようはずがなかった。 1542年、月山富田城の戦いでは大内・毛利の連合軍を辛うじて追い返すことはできたものの、尼子方は覇者とは名ばかり、籠城で持ちこたえるのが関の山に見えたと、又兵衛は風の便りに聞き及んでいる。「さもありなん……」独り言ちた。 福頼の渡しで布部川を渡り、山手に沿って月山の麓に向かった又兵衛であったが、野良仕事をしていた百姓どもは二本差しが通る、ただそれだけで正体を見ずして怯えてる風に見えた。 福頼の渡しに詰めていた役人も、どちらかといえば布部の関所と違い新参者、二本差しに怯えた。 武芸に優れぬ者どもを当てていると見た。 兵をどこに配置するか。 その兵をどこから駆り集めてくるかなど全てにおいて、尼子方は初代 高久の代は京極高秀の目もあってか標準的な兵法に従った。 主だったものが集まり軍略を練ってのち行うなど比較的おとなしかったが、苦労知らずの経久の代になると富裕さに、己の才に溺れ下剋上を始め中央の室町幕府に背くなど、人を人とも思わぬ怖いもの知らずの所業が続いた。 山中で他国からの侵入者を討伐するにしても、そこに至るまで己は歩かずして岬馬(今でいうところのポニーのような体格)のような野生馬に跨り、ナポレオンのイタリア遠征のようななり(ロバにしがみついて)峠を越えたが、敵を見つけるや否や配下の馬方が用意してくれていた南部馬のような大きな馬に乗り換え兵庫鎖太刀のような大刀を振り回し、有無を言わさず情けもかけず首を一刀両断にした。 弱い者いじめは徹底しており、たとえ領民であっても己に背けばそれこそ情けはかけない。 そう伝え聞いていた。 そこが長年身分を隠し仕えてきた毛利元就とは違っていた。 尼子は民百姓を、軽輩を重んじなかった。 したがって民百姓も領地を守ってくれてるとはいえ恩義は感じてはおらす、いざというとき兵をかき集めようにも肝心の先鋒役を務めてくれる足軽に恵まれなかった。 その影響がこのようなところにも及び始めていた。 福頼の渡しから月山の麓に向かうには途中、塩谷川という巾2間ほどの小さな川を渡らなければならない。 それを渡って初めて、特に急こう配で名を売る月山の布部側、田んぼのあぜ道の先、申し訳程度に切り開かれた場所、攻めるに最も難儀といわれる入り口である塩谷口にたどり着ける。 その、城砦を守るべく最初の関門である塩谷川や塩谷口を、尼子方は軽んじていた。 どうあっても固めねばならないはずなのに、配置したはずの番兵がまずもって見当たらなかった。 又兵衛は富田川に沿って月山をぐるりと左回りに迂回した。 屋敷のある新宮谷に向かいたかった。 按じはしたが、幸いなことに誰何されなかった。 千畳の壇 (別名太鼓の壇)下 に差し掛かって初めて、壇上を悠然と番兵の行き交う姿が、しかもちらりほらりと見えた。 天下一難攻不落を誇る月山城を、よもや攻め取ろうとするものなどいようはずがない。 そう思ってのことだろう…が。 鬨の声に何奴と千畳の壇から塩谷口に駆けつけてみたところで、敵はとっくに城主の住まう山中御殿を取り巻いている。 そのことを新宮国久がいくら言って聞かせても経久はもちろん、晴久も、ましてや詮久も聞く耳を持たなかった。 尼子から見れば愚鈍な百姓上がり、そう見ていたからだ。 新宮党は新宮党で、先祖伝来我らが土地ということもあって意地を貫いた。 天守など我らの操り人形ぐらいにしか考えていなかった。 足軽を雇うにも金が要る。 尼子は気位が高く、上洛用にと蓄えた資金を、付近の村々からかき集めてきた見窄らしい者どもに配る気に、まずもってなれなかったのである。 戦況が読めない尼子詮久は背後から迫るこれら(毛利を穢多ごときと見下していた)の兵には目もくれず、財力にあかし上洛すべく度々美作・備前を通り越し、遠く播磨まで遠征し、しかし負けて帰る……を繰り返す始末で、兵站は底はつき、しかも代々ケチであったから負けた兵に褒美をとらすなど皆無、次第に百戦錬磨の手飼いの兵も近隣の武将のもとに馳せ参じ、裏切り然乗り換えてしまい始めた。 敵を前にし平四ツ目紋の旗印を掲げ、「やあやあ我こそは」と前立天照大御神と書かれた兜をかぶり甲冑姿で名乗る。 その姿に恐れおののき、みなはひれ伏し退散する。 そう信じて疑わなかった。 富田二百万国が更に拡大しつつある。 そう信じて疑わなかった。 「他人のものも自分のもの」がこの地の習いとなっていったのである。 東を攻める間に西が攻め寄せる。 所領は食い荒らされるに任せていた。 見張ろうにも将もいなければ肝心の足軽に食わせる米もない。 領内と思える場所に住む百姓衆は嘘八百を並べ立て、安心させては褒美、つまり年貢のお目こぼしをせがんだ。 大陸の伝統、泣き落としだ。 刈り入れの時期ともなれば野盗に身をやつした毛利方の兵が忍び込んできて村々を回る。 巡回中の尼子方と小競り合いとなり都度、兵法の近代化をはかれなかった尼子は手痛い被害を被る。 このころから又兵衛の心は尼子から離れつつあった。 屋敷や妻が心配で、帰参してみて初めて心配が現実になったことを知った。 何気ないような顔をし墓参をすますと、又兵衛は散策に出かけるようなふりをし隣国伯耆との境を南にとった。 身を隠すにはどちらかというと中立に近い黒坂砦方面に向かうほうが安全だと考えたからだ。 そのような状況下にあっても、相も変わらず山中鹿之助は売名行為にうつつを抜かし、味方に向かって夜ともなれば月山城の頂に登り、三日月を振り仰ぎ「汝我に七難八苦を与えたまえ」などと格好をつけ祈る真似をしたものだから、この男を知る味方衆からいよいよ小馬鹿にされていたという。 こう聞くと大河ドラマに登場するような高名な武将の行いが果たして本当なのか?疑念が残る。富田城ではどこでもそうであるように尼子家内で当主の座を巡り争いが絶えなかった。 進行方向が一本化しない。それに加え、配下であるはずの新宮党、殊に山中鹿之助が当主を差し置いて政ごとに口を出し搔き乱すようになり、当主が黙りこくる→軍を勝手に動かすに至り、いよいよもって両者の間に軋轢が生まれた。 尼子家が家老職を、新宮党が当主を信用しなくなったのである。 そこで尼子は、軍略を練らず四方八方に戦いを挑んだのみならず、蓄えていた銀(おそらく太田銀山産出)を新宮党に意見を持ちかけることなく、御庭番に命じ密かに隠すなど、配下をも裏切ったのである。 にもかかわらず、相変わらずかつての部下(支配下の城主・出先の砦の城主)に対し威張り散らした。大言壮語家老となった山中鹿之助も同じで、1565年 第二次月山富田城の戦いに先んじ行われた川中島の決闘 (力比べ)で石見国 の国人領主・益田藤兼の家臣。久城布月城主品川 大膳 (山中鹿之助に対し棫木 狼之介勝盛と名乗る) に卑怯な手段を用い勝ち名乗りを上げている。 もう大勢が判明しているにもかかわらず勝った勝ったと威張って見せた。 一対一の決闘のはずなのに、分が悪くなると家臣の秋上宗信に乱入させ勝盛を慌てさせ、槍術による決闘に負け押し倒された。 この機に乗じ馬乗りになろうと覆いかぶさってきた勝盛を、隠し持っていた懐剣(脇差ではない)で下から腹部に向かって突き立てえぐり上げたのである。 あっけない幕切れとなった。 周辺諸国と交流を持とうとしない富田の地は万事がこうであった。 毛利元就にとって尼子は、山内家に攻められた折庇護してくれた、いわば御恩ある御館様。 出来ることなら開城させるだけ、つまり首をはねることなく穏便に済ませたかったが……。 尼子家が出雲に進出してからというのも、配下が学問にいそしむなどということは上洛の妨げになるとの理由で軽んじられ、つまり学んできたことを御館様に進言してもあしざまに軽んじられた。 戦に負けはしたものの敗走中、富裕な家とみると押し入り金銀財宝に加え逃げ惑う女を凌辱、抵抗する気力を奪う……で勝ちを拾った気になり留飲を下げるなどなど、ただでさえ陰鬱な気候によってか裏表のある地域であったものが益々もって悪事千里を走る……に拍車をかけたのである。  御上がそのような行いをすれば、当然規範となる御上の行いを振り仰ぐように見守っていたもの……つまり難渋していた民衆も一足飛びに成り上がれる可能性を秘めた、その便利な方法を我も我もと真似る。  雅を欠く、人が人でなくなるなど、関わりを持たないよう避けて通ってきたが見逃すわけにはいかなくなった。 確かに尼子のやり方も一理あったからだ。>
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