セックスにオーガズムは必要なのか?イクことに拘る49歳主婦の本当の願望とは④

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40代で出張ホストになった男! 16view
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    快楽の先にはない千鶴子もかつては、を得られないことや、不感に悩み、『マンコの気持ちよさが分からないのに、性的なコトやまだ知らない女の悦びを諦めきれない!』カラダとココロのアンバランスさに虚しさを抱きながらも「快楽とは?」の思いだけがドンドンと膨らみ苦しくなっていた。俺は、この仕事を始めてから「女の」にこだわってきた。演技ではなく女が本当にイク姿を俺自身が見たかったからである。そのためには出張ホストという肩書きを捨て、ただのスケベなひとりの男として彼女たちの依頼を受けつづけた。そして彼女たちのを目の当たりにしてきた。 とは「快楽の極致」だと、おそらく多くの人が思っているはずである。つまり快感が極限にまで達したとき、はやってくると。ところが、男の俺が嫉妬するほど大きなオーガズムを得ることのできる女たちを見ていて気づかされたのは、オーガズムは「快楽の延長線上にはない」ということだった。ならば、どうしたらそんなオーガズムに至るのか? で真にイケるのか?詳細はこれからのブログで書いていくとして、いちばん大きな要因は「感情」である。感情とはいうなれば「心」であり、普通のオーガズムは「体」の話である。依頼を受ける女でも「たぶんイッたことはあると思うけど、よくわからない」という場合が多い。実際、彼女たちはほとんどイッていない。そして依頼現場で本当にイッたとき、初めてそれに気づく。もちろん男たちにも、そんなオーガズムはある。しかし、それは射精ではない。ドライオーガズムという言葉もあるが、射精とは比べものにならないくらい深いものである。そんなオーガズムを体験できた女たちに感想を求めると共通点が見出せる。それは『一体感』だ。水と油は混ざらないが、水とジュースは混ざり合う。自分と相手の境界線が曖昧になり、ひとつに溶け合っていく・・・射精やオーガズムをゴールにするのではなく、お互いがずっと気持ちよく感じている状態がつづいている。まさにエンドレス!何時間でもやってられる。真のオーガズムは、開発するものではなく、ある日突然地震の如く現れるものである。それはたまりに溜まった活断層のエネルギーが放出するように・・・だからテクニックやマニュアルだけではたどり着けない。太もも、背中、首筋、乳房、乳首、クリトリスにGスポット?そんなところは誰でも気持ちいい。イヤ、ただ気持ちいいだけの場所なのである。数時間という限られた時間の中で自分を相手にぶつけていく。男も女も、互いにすべてを解放して・・・は肉体と精神が相手と結合して、ひとつの個体になること。そう!「性エネルギーの融合」なのである。だから手当たり次第に経験をつんでもそのエネルギーは融合することなく燃焼してしまうだけ。つまり、プレイうんぬんではなく、自分が心から「ひとつになりたいと」と思う男と対峙しないといけない・・・それが俺ならさらによいということ。そこには「普段の何10倍も気持ちよかった」とか「こんなに気持ちいいとは思わなかった」というような快楽に関する言葉は見当たらない。ほとんどの女たちはその直後に涙する。それは崇高な感情というべきものに打たれて溢れ出してきた涙のようだ。その場で女の顔を眺めていた俺も涙が止まらなかった。今にして思えば、俺の中のミラーニューロンが反応していたのだろう。このような女を見ていると、それは快感とは別のレールにあるようにしか思えない。あるいは、快楽の極致に達したとき、自己の明け渡しが起きて別のチャンネルへ以降するのかもしれないが、いずれにしても快楽だけではたどり着けない領域であるのは間違いない。オーガズムは究極の解放「どうしたらイケるんですか?」これは千鶴子だけでなく依頼する女たちからもよく聞かれる質問である。彼女たちの中には、フィジカルなテクニックのようなものをイメージしている女も多いが、ここをこうすればオーガズムを体験できるというようなマニュアルはない。それ以前に、これがオーガズムだと言葉で説明することすら、難しい。なぜなら、オーガズムとはそれを体験した者にしかわからないものだから。女が望むことは、できることはすべてやる!それが俺たちの使命である。千鶴子はずっと作り笑顔を崩さない。初回、俺には、彼女の素顔というものが最後まで見えてこなかった。そして本人も、作り笑顔が本当の自分だと思っているようにみえる。だから男とをしても、そのモードから外れることがない。それは千鶴子の過去の何らかの体験が影響しているのだろう。ひょっとしたら求めても得られなかった、幼き日々の孤独感なのかもしれない。彼女の依頼動機は「でイッてみたい」というものである。そのためにいろいろ話をしてみたが、なかなか心が開かない。彼女は真面目な性格で、社会性は強い。真面目といっても、風俗で働いたり乱行パーティに参加するという一見大胆な行動をとるが、彼女の中でその頑固な社会性と本能が戦っているように映る。どんな大胆な行動を取っても、社会性の方が圧倒的に強く、本能を押さえ込んでしまっている。は本能でするものだから、それが抑え込まれていたらはなからセックスにはならない。相手と向き合うよりも、自分の中の戦いにエネルギーを費やしてしまっているようである。「千鶴子さんは、なにもしなくても疲れるやろ?」と言ったら「そうなんですよ」と力なく笑った。そして、俺はつづけて言った。「千鶴子さんは、真面目にやってないやろ?」「えっ?」と驚く千鶴子。「千鶴子さんは、自分の性に対して、不真面目過ぎる!」とつづけた。オーガズムというのは、社会性を取っぱらいすべてを解放した先に得られるもの。だから努力ではなく「ねえ、ナオトさん、ココを舐めて欲しい」と言えばいい。ただそれだけのことである。でも、なかなか千鶴子はそれが言えない。「ここはいやらしいことをする所なんよ、していい場所なんよ。だから、そこで股を開いて、パンツの上からでもいいから『ねえ、ナオトさん、ここ触ってほしい、舐めてほしいの』って、ただそれだけでいい。「ホントは舐めて欲しいって、あるやろ?」彼女は「はい、あります」と答えたが、当然言えない。文章にまとめると短いが、上のような論旨の話を俺の経験やいろんなエピソードも交えつつ、あの手この手で、語りつづけた結果である。なにも付き合い始めたカップルが始めてラブホに入って、ベッドインする前に、いきなりオーガズムについて説いてるのではない。「セックスでイキたい」と依頼してきた本人に話しているのである。でも、俺には彼女が言えない理由もよくわかる。彼女も頭では俺の言ったことを理解している。理解しているのに、出来ないのだ。オーガズムとは、自分を明け渡すことで起きるものである。人に一番見られたくないところも含めてすべてを相手に明け渡してしまうこと。たとえば、好きな人と一緒にいるとドキドキするし、体が熱くなってくる。そのドキドキのまま、セックスで心を開いてしまえばいいのだが、好きな人だけになかなか巣の自分を出すのが怖いという思いも同時に生じてくる。「こんなことをしたら嫌われるんじゃないか」「本気出したら引かれるかもしれない」という怖さ。それは自分が知らず知らずのうち身につけてきた社会性が壊れていく恐怖でもある。その辺のリスクも計算しつつ、自分のスタンスをつい推し量ってしまう。しかし、そんな計算がある限り、オーガズムは起こらないのである。~つづく~
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